日本の“公共的空間”って市民がつくってきたと思うんです。フランスのように市民がパークをパブリック化したみたいな経緯がないから、公的空間や公共施設が、公共的になるというプロセスをちゃんと辿ってないんですよね。だから、勝ち取ってきたものではないんです。けれど、界隈としてつくってきたという経験はあると思っていて、これからはそこを伸ばすしかないと思うんです。民間の空間が、できる範囲で公共的になるというのは意図的にも考えていますし、社会もこれからそうなるだろうなと。日本人が市民社会を自分で実現したということが、チャンスとしては明治維新のときと、第2次世界大戦の前後であったと思うんですけど、その機会を逸してしまったので、パブリックネスというのをヨーロッパと同じような形でつくることはできないですね。