東京大学名誉教授・篠原修(景観工学・設計計画思想史)が手に取った本の内容を、本人の語り口で紹介する書棚のぞき見企画。
GSデザイン会議のメールニュースで配信された約200本に及ぶ記事から編集部でピックアップして掲載します。
今回は第三回を掲載。
伊東豊雄の著書『あの日からの建築』。
災害を契機とする現代建築再考のすゝめ。
2013年7月24日 篠原修
最初が経済、その2が俳句だったので今回は専門に近い建築の本を取り上げます。
ある日の事、書籍小包が届きました。開けてみると「あの日からの建築」集英社新書、で著者は伊東豊雄さんでした。
伊東さんとは深い面識があるわけではなく、横浜の「象の鼻公園」のプロポの審査で一緒した事と、小生が委員長を務める静岡県景観賞の表彰式に講演で来てもらった折に一言二言話をしたという付き合いです。そんな程度の知り合いなので些かびっくりしました。思うに「帰心の会」で伊東さんと復興に関わってきた内藤さんが篠原の事を時々話しているからでしょう。
伊東さんが本を書いた動機は明快で、東日本大震災を機に建築を根底から見直さねばならないと感じたからでしょう。
詳しくは読んでもらうしかないが、彼の問題意識は「はじめに」の冒頭の「東日本大震災の日から一年半が過ぎた。この間幾度も被災地に通った。通えば通うほど、自分がつくってきた建築は何だったんだろう、それは誰に向けて、そして何のためにつくってきたのだろう、と考えざるをえなかった」に要約されている。
小生にとっては当たり前だが、重要だと思う伊東の記述は「いわば目に見えない資本を視覚化する役割を担うのが建築家であって、彼らはその蓄積される場所を求めて移動を繰り返す。それが現代建築家なのです」。つまり、篠原流に言うと現代建築家は資本家の「下僕」だと言っているのでしょう。
次は余りに正直で、笑ってしまった処。「つまり私は、歌(小生注、演歌)を通じてなら地域の人々とコミュニケーション可能なのに、建築を通じては必ずしもうまくコミュニケーションできていなかったのである」という下りである。聴いたことはないが、伊東さんは八代亜紀をはじめとする演歌は相当に上手いのだそうだ。そうだろうなあ、伊東さんの建築は地方の爺さん婆さんの心には響かないだろうと思う。
最後に伊東さんの処にいた若手建築家の感想。「内藤さんの本は読者に話し掛けて来るが、伊東さんは自分に向ってつぶやいているような気がする」との事。ただし新聞で見る限り、伊東さんの「みんなの家」は岩沼で7軒目だそうで、その評価は色々あるにしても、伊東豊雄さんは真面目な人なのだと思う。
でも「みんなの家」をトリエンナーレに出すという感覚は小生には理解不能です。常にマスコミを意識しているのは、亡くなった奥さんの影響もあるのかもしれません。これは深読みか。
隈研吾の本も取り上げようと考えていたのだが、余りに長くなったのでそれは次回に。

伊東豊雄『あの日からの建築』集英社新書, 2012
<次編:篠原修の「面白かった本」その4>