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INTERVIEW

NO.56

内藤廣 vol.5『5歳の頃の母親の膝の上』

INTERVIEW

2022/08/09 01:28

#内藤廣
#岩本健太#隈研吾#妹島和世
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日本建築学会賞など数多くの賞を受賞し、日本を代表する建築家である内藤廣さん。近年は、大都市東京の真ん中に明確な用途をもたない異質な施設「紀尾井清堂」が建ち、東日本大震災の復興現場では「高田松原津波復興祈念公園の国営追悼・祈念施設」が完成した。また、東京都の景観審議会の委員を長年務め、現在進行中の渋谷駅周辺の再開発プロジェクトでもデザイン会議の座長などを務める。
今回のインタビューでは「風景とは、景観とは何か。そして我々には何ができるのか」という問いを起点に、いま内藤さんが建築に込める想いを尋ね、また幼少期の記憶や感動した原体験、さまざまな人との出逢いと別れ、これからのことなど、内藤さん自身の過去・現在・未来についても語ってもらった。
「それは”生きる”っていうことです。」
――生と死の狭間で、つくり続け、何を残し、どこに還るのか。
聞き手は、東大景観研究室時代の教え子でもある土景編集長・崎谷浩一郎。内藤廣の個人史にも迫る珠玉のインタビューを公開。

崎谷 今後やりたいことって何かありますか?


内藤 そうだね。今、何がやりたいかな、って思ったんだけど。もちろん建築的にやりたいことはたくさんあるし。


崎谷
 そうですよね。


内藤 ここのところちょっと言ってるのが、「建築それ自身にしか回収できないような価値をつくりたい」って言ってるんです。それは要するに、さっき言った話と繋がってるんだけど、資本主義社会にあっては、あらゆる価値が資本主義に回収されるわけですね。それはメディアだったり、それから使い勝手だったり、機能だったり、それからマネージングだとか。だけど建築の本質的な価値っていうのは、本来、そういうものとは全く切り離されて独立してあるんじゃないかと最近思うようになって。どんな建築を造ろうとみんな何か資本主義に、あるいはグローバルな仕組みの中に取り込まれてしまうんだけど、取り込み切れないものがあるはずだ、と思っていた。で、考えてみたら僕がずっと無意識のうちにやろうとしてきたことはそれなのかなと思い当たった。たとえば、「海の博物館」の収蔵庫が僕の出発点みたいなものだけど、床は博物館に収蔵庫として使われてるので、船があったり網があったりしてるんだけど、それを全部除いてみても何か不思議な価値があるんだね。それっていうのは、あれが博物館であろうとコンサートホールであろうと、なんであろうと成り立つような価値があって、本当は、僕はそういうものをやりたいと思っているのかな。住宅でも何でも、複合的な機能だとかがわりと狭いところにいろいろあると、そういうのがごちゃごちゃに混ざって本来的な価値が見えにくくなってるんだけど、そういうものを見えやすい形に置き換えるっていうことは多分あり得るんだろうと思い始めてる。過去の作品とかをじっと見直して、ああそうかと気づくところがあった。これはだから、もちろん博物館だったり美術館だったり、住宅だったり駅だったりするんだけど、でも別に駅でなくてもいいよねっていう、そこのところの価値っていうのは必ずあるはずで、僕のこれからの仕事は、できるだけそういうものを救い出すっていう方向に向かうんじゃないかと思う。建物自体は公共であれ民間であれ、資本主義的な仕組みの中でしかできない。巨大なお金がいるので。だけど本当にやりたいことっていうのは、そこからちょっと切り離されたところにあるのかなと。

海の博物館_外観.jpg

海の博物館の外観
提供:内藤廣建築設計事務所


海の博物館_展示棟.jpg

海の博物館 展示棟内観
提供:内藤廣建築設計事務所


海の博物館_収蔵庫.jpg

海の博物館 収蔵庫内観
提供:内藤廣建築設計事務所


崎谷
 今までの活動を総括するというところで言えば、映像をちょっと進めてるとか、そんな話もちらっと噂に聞いたことがありますが。


内藤 ガンちゃん(※)? そう。滞ってます(笑)。いずれ事務所のホームページで公開する予定ですけど、十年後かな(笑)。

※ 岩本健太:1979-,映像作家


崎谷
 そうなんですね。見返すっていうと、一つは映像でもそれをやりながら、編集して見やすくするのかなと思って。


内藤 あれでやろうとしたことは割とはっきりしていて、今、僕が言ったこととは違う次元で、僕の仕事っていうのは「分かりにくい」っていうことがあるわけです。伝わりにくいし、分かりにくい。そこが隈さん(※)や妹島さん(※)との違いで。分かりにくいっていうのは、当然さっきから話してるような話とも繋がるんだけど、僕が欲しいのは何とはなしにそこにある空気だとか空間だとか、こんな感じみたいな、そういうものを求めてるわけですよね。それって伝わりにくいですよね。だから、その伝わりにくいところを何とか少しでもたくさんの人に伝えたいっていうようなことで、ああいう試みをやろうとしたんだけど、やっぱりどこまでやっても伝えにくいんだよ。映像でやったり言葉でやったりいろいろしても。

※ 隈研吾:1954-, 東京大学特別教授, 隈研吾建築設計事務所主宰, 建築家

※ 妹島和世:1956-, 妹島和世建築設計事務所主宰,SANAA共同代表, 建築家


崎谷
 それこそ、建築それ自体でしかそれは…


内藤 うん、回収できない。それは半分、諦めに近い宣言かもしれないけど。


崎谷
 いや、でも、要は、造り続けるっていうことですもんね。


内藤 頼む人がある以上はね。頼む人がある以上はやるんだろうね。でも、今でも建築以外の雑用が多過ぎるって怒られてるんですよ、私(笑)。


崎谷
 (笑)。でも、死ぬまで造り続けて、いつか内藤さんが最後に帰る場所みたいなのがあるじゃないですか。そういうところって、何か意識されてたりしますか。


内藤 帰る場所っていうのは、どういう意味だろう。


崎谷
 今いろんな土地を行ったり来たりしてるかなと思うんですけど、地べたに、最後この辺に帰っていこうかなとか。宇宙でもいいですし。


内藤 それは、まあ、その質問にどう答えるかは非常に微妙なんだけど、やっぱり『市民ケーン』かなと思うんだよな。『市民ケーン』って観たことある(笑)?


崎谷
 映画ですよね?観てないですね。


内藤 観てない? 名作中の名作ですよ。オーソン・ウェルズ。あれは新聞王と言われた男の物語なんだけど、最後に暖炉で燃やされる子供用の橇が出てくる。それに近いことかな。帰っていく場所っていうのは。ずっと思い出すと、これはちょっと誰にも言っていないと思うんだけど、聞かれたらどう答えようかと考えてみたら、“5歳の頃の母親の膝の上”って答えるのかな。


崎谷
 おお…。

内藤生家前にて.jpg

内藤さんの生家にて


内藤 そのときの光景って何となく覚えてるんです。そのときの状態も何となく覚えていて。夕方の光が入ってきてとか、描こうと思ったら描けそうな感じ。それは多分、守られてる状態なんだ。多分そのときすごく安心したんだと思うんだよね。どこに帰っていくのかっていったら、そういう所かなっていう気がする。そのときの膝の温かみだとか柔らかさだとか。


崎谷
 …なるほど。


内藤 そういう気がするんだよね。


崎谷
 なんか、ちょっと感動してしまいました。


内藤 これはちょっと、こんな話は、小田切さんも聞いてないよね (笑)?


小田切 言いにくいでしょう(笑)。


崎谷
 いやー、ありがたい話が聞けた感じですね。なんか。


内藤 みんなあるかもしれないよ。


崎谷
 今までインタビューした全員の方にいろんな聞き方でお聞きしてるんですけど、なかなか明確に持ってらっしゃる方はいらっしゃらない。少ない…っていうか、ほぼいないですね。


内藤 ウクライナのことなんかがあったりすると余計そう思う感じはあるよね。ああいう映像を見てる影響もあるかもしれない。そういうふうに思うっていうのは。


崎谷
 そうですよね…。いや、しびれちゃった。僕は結構もう…。どうですか?伊藤さんは質問とか。


伊藤
 そうですね。どういうところに自分の体が帰っていくのかとかはどうですか。なにか具体的に、たとえばお墓であるとか、何処が良いかっていうのはイメージがありますか?


内藤 ああー…。


伊藤
 人によっては海にまいてほしいとかいらっしゃるんですけど。


内藤 (少し思案して…)あの、たとえばね、死っていうのを自分のこととして考えると当然それしかないんだけど、この年になると他者性みたいなのを考えるよね。つまり、海にまいてほしいとか空中散布してくれとか何でもいいんだけど、後の人間がどう考えるかっていうことの方が大事で、僕はどうかな。どうでもいいかなと。死んだ後のことは分からないのでっていう、そういうふうに考える感じがありますね。


伊藤
 じゃあ他者にとっての内藤さんのお墓がどこにあったほうがいいかとかは。


内藤 周りが決めればいいんじゃない?


崎谷
 どこがいいかな。


内藤 要するに、たまに思い出したりするのに何もなきゃね、みたいな。そういうこともあるし。それこそ3週間前だったかな、ちょっとお墓参り行って。僕、大学時代に仲良くしてた友達が1人いてね。それが42歳のときかな…、突然癌になって手術した。僕なんかよりずっと才能ある男だったと思っていたんだけど。ずっと見舞いに行っていたんだけど、その1年後ぐらいに再発して亡くなった。もう三十年も経つから記憶が遠のいて、忘れて日々を生きている。やっぱり、何か思い出すきっかけみたいなのは必要なんだよ。そこへ霊魂がどうのとか浄土がどうのとか、そんな話はどうでもいい。宗教はそんなに信じていないけど、墓みたいなのは個人として思い出すきっかけにはなるよね。そういうきっかけみたいなのが要るようだったら、きっかけを作っておけばいいしみたいな。そのぐらいの感じですかね。


崎谷
 なんか、ぼーっとできる場所が一番ですかね?(笑)


内藤 なんだったら陸前高田の「海を望む場」(※ 高田松原津波復興祈念公園)で献花してもらえばそれで良しとするっていうんで、広田湾の真ん中にでも撒いてもらうかな(笑)。

防潮堤の上から高田松原津波復興祈念公園の全景を振り返る.jpg

防潮堤の上から高田松原津波復興祈念公園の全景を振り返る
提供:内藤廣建築設計事務所

追悼・祈念施設の水盤の前から、「海を望む場」までの「追悼の軸」を見る.jpg

追悼・祈念施設の水盤の前から、「海を望む場」までの「追悼の軸」を見る
提供:内藤廣建築設計事務所

広田湾が一望できる「海を望む場」.jpg

広田湾が一望できる「海を望む場」
提供:内藤廣建築設計事務所


崎谷
 あそこはだいぶぼーっとできますよね。


内藤 『土景』でこんな話していいの。


崎谷
 『土景』だからこういう話なんです。



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