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INTERVIEW

NO.38

新津保建秀 vol.3『空間の”奥”をとらえて』

INTERVIEW

2022/04/26 16:50

#新津保建秀
#北川一成#朝倉健吾#槙文彦#隈研吾#ジョセフ・コーネル#バルテュス#ジョナス・メカス
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新津保建秀さんは、現在数あるメディアや媒体の多くで活躍する、第一線を駆け抜けるカメラマンである。国内外のさまざまな場所で写真撮影を手掛け、その対象はあらゆる著名人・文化人のポートレートから、巨大な展示物としての風景・建築写真などまで広範に渡る。
今回のインタビューでは、新津保さんの近年のプロジェクトを皮切りに、過去の原体験や人々との出逢い、ご自身の中で深めてきたテーマについて聞き、その創作に込められた思想や、写真表現の身体性・時代性・倫理の問題などまで広く深く語ってもらった。
彼はこれまでどんな経験をして、誰と出会い、そしていま何にレンズを向けるのか。
――ファインダーの奥にのぞく情熱の眼光に迫る。

崎谷 ヒルサイドテラスに住まれたのは何年からだったんですか?


新津保 2009年から2016年までです。北川さん(※)から、「朝倉さん(※)に紹介するからどうですか。中から撮ってみるとええよ」と言ってくれて。ちょうど息子が近所の猿楽小に通い、中学に入るまでの期間です。

※ 北川一成:株式会社GRAPH取締役社長

※ 朝倉健吾:朝倉不動産代表


崎谷
 その辺の話は聞きたいですね。


新津保 住み始める前は、「たしかに仕事には便利かもしれないけど、もうすこし落ち着いた場所がいいのでは」と言っていたのですが、結論から言うと、住んでみたことで、実際に子育てをしながら長期にわたって撮る中で、建築の向こう側にある設計者の意図、その土地に漂う過去と現在の時間を写真の中のイメージに重ねてゆく感覚を獲得した気がします。今、言われるまで思わなかったけど。


崎谷
 多分、住んだから言えることだと思いますよ。ただ第三者として撮って感じることと、自ら投資して住んで感じることは違う気がします。


新津保 あと、住んでみて、地域コミュニティーの中に深く入ってみたことで、設計者である槇さん(※)はこれをつくりたかったんだなというのは思いました。

※ 槙文彦:元東京大学教授, 槙総合計画事務所代


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代官山ヒルサイドテラス ©新津保建秀
『HILLSIDE TERRACE 1969-2019 ―アーバンヴィレッジ代官山のすべて―』(監修:ヒルサイドテラス50周年実行委員会、現代企画 2019)より

崎谷
 槇さんともよくご一緒されました?


新津保 建築空間を撮影するときは朝倉健吾さんとご一緒することが多かったです。槙さんと御一緒したのは、ポートレートの撮影が多かったですね。

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建築家の槙文彦さん ©新津保建秀
『HILLSIDE TERRACE 1969-2019 ―アーバンヴィレッジ代官山のすべて―』(監修:ヒルサイドテラス50周年実行委員会、現代企画 2019)より

新津保 一番、最近だとパスポート更新用の写真です。撮影のあと、「10年後(の更新)も」とにっこり仰ったとき、この方はずっと現役なのだ、それがすごいなと思いました。


伊藤
 お元気ですね。


新津保 そうなんですよ。何故そんなにお元気であるかを聞いたら、「私はどこに行くのでも歩くのです」と仰っていました。ご自宅から品川の駅まで歩いて、山手線で恵比寿に行って、恵比寿から今度は駒沢通りをずっと歩いて、旧山手を行って、そうして、西郷山公園の近くにあるヒルサイドテラスウエスト内の事務所まで。夏の炎天下でもかばんを持って。誰も世界的な建築家とすれ違っていることに気がついていない。


伊藤
 そうとう歩かれてますね。


新津保 とにかく歩くということが大切だと仰っていてました。そうすることで、体力の維持だけではなく、建築家としての空間のスケール感覚を維持なさっているのかなと思いました。


伊藤
 都市に対しての関心が、槇さんはアイレベル(英: eye-level)からきてるような感じがしますよね。同世代だとメタボリズムをやってる人たちがいましたが、槇さんは少し距離を置かれてたんだろうなというのはあるんです。関わりはあったけれど、ヒルサイドテラスなどで試みていたことは、彼らとは特徴が違う。あっちは建築を物質、ハードの物として考えて、それを直接循環させる。いかにそのエコシステムをつくるかということでしたけど、槇さんはどちらかというと建築を町に置いてから、それ自体が変わらなくても別にいい。でも町が変わっていく中に染み込んでいく。


新津保 もっと時間とかね。扱っている対象の抽象度が高いように思います。すごい方だと思いますよ。


伊藤
 遺跡っぽいですよね。槙さんのつくったものが、その場所になってしまう。


新津保 そう。ヒルサイドテラスに隣接する旧朝倉家住宅も、文化財として残るようにしています。それによって、あの敷地内の森がヒルサイド内の森に繋がり、”奥”の圏域が生まれているところに惹かれます。


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代官山ヒルサイドテラスのたずさえる森 ©新津保建秀
『HILLSIDE TERRACE 1969-2019 ―アーバンヴィレッジ代官山のすべて―』(監修:ヒルサイドテラス50周年実行委員会、現代企画 2019)より

新津保 こんなに良い施主と建築家の出会いというのは、なかなかないでしょう。あるんですかね、他の事例で。

伊藤
 なかなかないですね。でも、ヒルサイドテラスを参考にして、結構いい場所になってるなという建築は増えてきていると思います。あと、今はまちづくりとかでも、土地の顔の人がいますよね。旅館の方とか、温泉とか、酒屋さんとか。そういう人たちが関わって、「町に還元できるものを」と常に考えてるから、ヒルサイドテラスのような視点をもった試みは増えてきたような気がします。でも、ここまでお金をかけて、東京のような大都市に対して経済効果をつくった事例はないですね。


新津保 街の佇まいそのものが変わったと多くの人が語っています。この前後で。


伊藤
 これができてから、そういうデザインコードが明確にあるわけじゃないのに、みんな守っているというか、代官山のスケールを壊さないようにしてきていますからね。


新津保 蔦屋書店が代官山につくられるときも、そこに敬意を持って計画がすすめられたようです。


伊藤
 だからでしょうかね、代官山に在住の方から、「最近の駅前の再開発は大きいのばかり建てている」と怒る声も聴いた声がありますよ。


新津保 世代が変わっていくと街に対する感覚も変化していくと思いますが、今の、伊藤さんの周りの若い世代の価値観というのは、どのような感じですか。


伊藤
 それは代官山に対してですか?


新津保 代官山じゃなくても、建築を含めた場所そのものの佇まい、歴史とかですね。やっぱり、世代ごとに共有してる価値観というのはあると思うんですけど、今はどんな感じなのですか。


伊藤
 そうですね、僕個人と僕の周りはまたちょっと違うので…。ただ、具体的に何処がというわけではありませんが、僕の周りから言うと、不動産に介入したがる人が多いような気はします。たとえば、賃貸をうまく経済的に運用していくけれど、デザイン的にもそれなりに良いもので、設備はちゃんとこういうようにメンテナンスしてと、建築が使い回されていくことを視野に入れて何かやる、そのための不動産運用のノウハウとかまで介入するとかですね。


新津保 運用のノウハウね。


伊藤
 わりと最近まで、業界が分かれていたんですよ。建築業界と不動産業界が分かれていて、かつてはデベロッパーの造るものを建築家は嫌いだし、建築家が造るものをデベロッパーは嫌いだし、そういう状況がずっと続いていたのが、今は結構、歩み寄ってきています。


新津保 マージしていく感じですか。


伊藤
 そうですね。そうやって都市やまちづくりを一緒にやってきましょうというところで仕事をやりたがる人は、僕の周りは多い気がします。


崎谷
 サブリースとか、新しい事業モデルも、たくさんあるもんね。


新津保 なるほど。


伊藤
 再開発のプロジェクトなどで、建築家とデベロッパーが組んでやるときに、デベロッパーの求める収益という部分はもっともだし、でも都市はこういう方が良いから、じゃあどう合わせましょうかと。まさに、こういうヒルサイドテラスのような事例を見て、という感じだと思いますよ。僕自身は、まだ、それとはあんまり関係がないんですけど。


新津保 おお。伊藤さんはどんなことに関心があるのですか。


伊藤
 僕自身は、まだあんまり自分の中で、都市に直接介入するための手掛かりを発見できていないので、なかなかテーマにできないんですね。でも、都市との接続というところでいえば、シークエンスのことは気にしていますが。


崎谷
 シークエンスと、あとマテリアルとかもやってるよね。


伊藤
 そうですね。こう歩いてきて、ここで空が抜けて、こういうふうに階段を降りてきたときに、ここから一筋の光が差して、こういう壁だったら――というような。


新津保 それは大事ですよね。


崎谷
 伊藤さんはマテリアル派なんだよね、割と。


伊藤
 自分が肌で感銘を受けてきたのが宗教施設とかだったりしたもので…。でも、単純にそれをそのまま造るということにはなかなかならないので、なぜ宗教建築の空間を好きなんだろうと考えたときに、そのシチュエーションだとなったんですよ。その雰囲気や光だけでなく、そこでの音の響きとかも含めて。


新津保 いつも不思議なんですけど、たくさんの人が祈りを繰り返してきた空間って、ただの木や石でできてる場所なのに、なにか、そういう念みたいなものが蓄積しているような感じがありますね。


伊藤
 そうですね。僕らが空間を見てるときって3次元じゃなくて。


新津保 時間だ。


伊藤
 そう。時間が経っているという。だから、少なくとも4次元だなと。


崎谷
 超ひも理論的ですよね。9次元とか12次元とかそういう中で、物質はもはや点ではなく、ひも状で、それが振動して…みたいな、きっとそういう話なんですよ。だから、おそらく染み込んでるというのは本当に染み込んでいて。その柱から波動みたいのが…


新津保 来てるということですか。


崎谷
 出てるとしか考えられないですね(笑)。


新津保 初めて海外に長期滞在したとき、パリの6区にあるサンシュルピスという教会が近くて、たびたび訪れていました。中に入ると、しーんとした気持ちになるのです。あと、上賀茂神社の境内にただよう空気も好きですね。人が自身の心の中に深く入っていこうとする空間が持つ、あの感じはどうやって生まれうるのかなと思っていて。それを科学的に解明できる社会がいつかあるのかな。


伊藤
 そこは、まだあんまり科学されてないんですよ。僕はそっちの方が興味ある感じなんですよね。


新津保 それやったらすごいですね(笑)。


伊藤
 そうですね(笑)。必死に言語化したりとかしてますけど。


新津保 それについて、最初の方の話に戻るんだけど、人が死を迎える場所がそういう良いものを湛えていたら、安らかに死ねるんじゃないかなと思います。病院で親しい人の最期の瞬間に立ち会うたび、人が物的に扱われてるなと思っていて…。あまりに忙しく旅立っていくというか。だから、もうすこし余韻のある最後というか、そういうものが病院とかにできたらいいのかなあ。人が心の中に深く入っていこうとするための空間が持ってる、あの感じが解明できて、応用できたらよいなぁと思います。


伊藤
 そうなんですよ。でも、さきほど新津保さんも仰っていた上質な茶室とかは、それができてると思うんです。


新津保 ああ、そうですねえ。


伊藤
 僕は祖母が茶道の先生なので、実は茶道をやっていたんです。


新津保 おお〜、それはいい経験ですね。


伊藤
 それで、祖母から「茶室には時計、着けてこないほうがいいよ」と言われて。当時の僕は時計が好きでいつも着けていたんですが、「そっか」と思って外して、稽古していました。


新津保 そうですよね。時計に表れているのは計測できる時間で、茶室の中に流れるのは、その対極にある計測できない時間です。


伊藤
 計測できない時間というのは重要ですよね。茶釜の湯の音がしゅーっとして、ちょっと光が揺らいでるとか。僕らが普段、空間に無意識に見てる時間も恐らくそっちなんじゃないかと。


新津保 はい。場そのものの創造がうまくいったときは、物質と心の両方にまたがった領域が立ち上がるのでしょうね。そういえば、所沢にある角川武蔵野ミュージアムを撮影したとき、隈さん(※)に卒業制作について聞いたことがあるのですが、黙想のための家を設計したそうです。

※ 隈研吾:東京大学特別享受, 隈研吾建築都市設計事務所代表


崎谷
 瞑想みたいな?


新津保 そうらしい。隈さんが通ってた中高はカトリック系で、そこでは修道院での黙想のカリキュラムがあって、そのときの内的な経験が、卒業制作のもとになっていたと伺いました。


伊藤
 栄光学園ですよね。若い頃のそういう体験は、あとからつくれないですからね。


新津保 20代の処女作で、物のフォルムの向こう側にある領域に対峙しているところが素晴らしいと思いました。そのときに伺った別のお話では、母校の新校舎を設計なさったそうですよ。長い経験を携えて、ずっと年下の、後輩の心に作用する空間をつくるっていうのは、とても嬉しい仕事なんじゃないかなと思いました。

伊藤 それは、本当にそうですよね。

新津保 ところで、伊藤さんは母校の新しい校舎はご覧になっていますか、建築家として。(※ 新津保さんの御長男と、伊藤は同じ母校出身。)


伊藤
 まだ行けてないんですよ。友人は何人か行ったと言ってましたけど。


新津保 美術の先生がデザインしたらしいです。なんてお名前だったっけな。


伊藤
 そうなんですか。選択の授業では、美術をとってたんですが…。


新津保 本当?


伊藤
 油彩で有名な先生かな。日展かなにかに出てた方だと思いますが。


新津保 そう、その方だと思う。


伊藤
 その方ですかね。でも、谷中の方は、しばらく行けてないんですよ。


新津保 今も工事が進んでいるようです。


伊藤
 あれについては、うちの母校出身の建築人たちは皆、自分がやりたいと思ってたはずですよ。


新津保 なるほど。あっちが立てばこっちが立たずで、建築と関係ない、今教鞭をとっておられる絵の先生にしたのかもしれないですね。


伊藤
 かもしれないですね(笑)。



<次編:vol.4『写真のリアリティと無意識』>

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