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INTERVIEW

NO.37

新津保建秀 vol.2 『建築家たちとの邂逅』

INTERVIEW

2022/04/23 02:44

#新津保建秀
#原田真宏#原田麻魚#五十嵐太郎#平田晃久#中村拓志#ヨコミゾマコト#北川一成#増田徳兵衛
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新津保建秀さんは、現在数あるメディアや媒体の多くで活躍する、第一線を駆け抜けるカメラマンである。国内外のさまざまな場所で写真撮影を手掛け、その対象はあらゆる著名人・文化人のポートレートから、巨大な展示物としての風景・建築写真などまで広範に渡る。
今回のインタビューでは、新津保さんの近年のプロジェクトを皮切りに、過去の原体験や人々との出逢い、ご自身の中で深めてきたテーマについて聞き、その創作に込められた思想や、写真表現の身体性・時代性・倫理の問題などまで広く深く語ってもらった。
彼はこれまでどんな経験をして、誰と出会い、そしていま何にレンズを向けるのか。
――ファインダーの奥にのぞく情熱の眼光に迫る。

崎谷 結局、生まれ育った場所や共同体のコミュニティー、そこで得た体験と記憶、そういうものが大人になってからも影響しているというのは間違いないだろうなと思っていて、ベースとなる小さい頃の体験は抜きには語れないのかなと思うんです。それでいうと、新津保さんは今少し話しただけでも建築家の名前がたくさん挙がるし、結果的に今こうして一緒に仕事もさせてもらっています。新津保さんには、なにか建築に縁があるんじゃないかという気もするんですけど、いかがですか?


新津保
 確かにそうかもしれないですね。初めて自作の撮影依頼の連絡をくれた建築家は、マウントフジアーキテクツの原田ご夫妻(※)でした。2007年の初夏の頃かな。当時は全く面識がなかったのだけど、2005年に自分が出した写真集―ポートレートと四季の風景を対比させた『記憶』という本なんだけど、それを見て連絡をくれたんですよ。


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『記憶』(フォイル, 2005)より ©新津保建秀

新津保 その年の夏にリスボン建築トリエンナーレという展覧会があって、日本のブースは五十嵐太郎さん(※)によるキュレーションで、複数人の建築家がそれぞれ写真家とペアを組んで発表する形でした。原田ご夫妻からの依頼内容は、その展示のために彼らの建築作品を撮ることで、彼らが手掛けた個人宅を撮ったんです。

※ 原田真宏:芝浦工業大学教授, マウント・フジ・アーキテクツ代表
※ 原田麻魚:マウント・フジ・アーキテクツ代表

※ 五十嵐太郎:東北大学教授


崎谷
 出展もされたんですか?


新津保
 はい。それで、出展作品が完成したあたりに、大林組が何組かの写真家と建築家によるシンポジウムを開催したんですよ。そこで初めて、マウントフジアーキテクツのお二人以外の、他の建築家の皆さんとも会ったのです。大林組はかつて、TNプローブというのをやっていて、そこで『建築と写真と現在』というタイトルのシンポジウムを5回開催し、これを記録した冊子を刊行していました。そして、その第5回目が、このリスボン建築トリエンナーレに出展した建築家と写真家によるものだったんです。


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《SAKURA》(2007) ©新津保建秀
リスボン建築トリエンナーレのための写真

新津保
 展覧会が終わって、この帰国展が東京で開催されたときもシンポジウムがあって、ここでたくさんの建築家に会いました。今振り返ると、そうした作業や過程における原田さんたちとの対話は、自分の中では一つの転機だった気がしますね。あと、そういえば、もっと遡ると、昔、もうひとり建築家に会っていました。


伊藤
 もっと昔ですか?


新津保
 20代のころちょっとしたコンペみたいのがあって、ある建築家から賞をもらったことがあるんです。それで、その方から、「建築に興味があればうちで働いてみないか?」と手紙をいただいたんですよ。


伊藤
 おお、すごい。かなりお若い頃の話ですね。


新津保
 その方は精緻なドローイングを描く方だったのですが、手紙に書かれた字も、本当にきれいな字なんですよ。ばしっと、文字が並んだ手紙で、そこに「面接するから京都に来てくれ」と書かれてあって。それで、ちょうど手掛けられていた建物の現場に連れていってもらい、事務所も見学させていただきました。そのときに、その方から「もし建築やるとしたらどういう風にやるのか?」と聞かれたので、「自分は建築を専門でやってきてないから、彫刻をつくるようにマケットを作って、そこから図面化できるような人と組めないかと思ってる」と答えたら、「これからそれはとても簡単になるよ」と。「どうしてですか?」と聞いたら、「これからはコンピューターで設計をやっていく時代になるから、従来と違う造形性にシフトしてる。だから、別に建築を専門としてやってなくてもできるよ」と言われたんですね。ちょうどCAD(PCの作図ソフト)が出てきた頃かと思うのですが、そのときは、「本当にそんなことが?」と驚きました(笑)。でも、「君は建築の学部行ってないから、実務経験を6年積まないと一級建築士の受験資格はない」と言われて、「6年は長いな…」と思って。


伊藤
 たしかに、天秤にかかりますよね。


新津保
 面接にいったときは、事務所の中のあっちこっちで進行中のプロジェクトが並行していて、事務所の椅子で、何人も雑魚寝して寝ていました。昼夜ないわけです。そして「お正月とお盆とかは帰れるかな」とか言っている。


伊藤
 そのときは断ったわけですか?


新津保
 そうです。当時、建築を学んでいた友人がいて、彼が「それ、絶対行ったほうがいいよ。俺だったら行くな」と言われて、ほかの3人ぐらいの友人にも聞いたら、皆にも行くように勧められましたが、そのとき自分が作りたかったのは、モノとして触れられるよりも、もっと曖昧なもので、少し違ったんですね。そして、24歳ぐらいまでに、それに対して納得がいく形で作業しておかないと、先がないような気がしていたんです。でも、そのときはアルバイトしながらやっていましたが、本当にきつかったので、行っておけばよかったなとは、あとで何度も思った。


伊藤
 何をやっても、きついということですね。


新津保
 はい。最初はなんでもそうだと思います。


崎谷
 でも、新津保さんが建築に行きかけたんですよね。それが面白いですよね。


新津保
 それから何年も経って、その出来事も忘却の彼方になっていた頃、先の原田さんたちとの出会いがきっかけで、その同世代の若手建築家とシンポジウムで一緒になり、かつて自分が初めてお会いしたその建築家の難解なテクストを思い出したんです。みなさんが自作を語る内容は自分にはとても難解だったのですよ。そのときは、その場に、原田さんのほかに、平田さん(※)とか、中村拓志さん(※)とか、ヨコミゾマコトさん(※)とかがいて。

※ 平田晃久:京都大学教授, 平田晃久建築設計事務所
※ 中村拓志:NAP建築設計事務所主宰
※ ヨコミゾマコト:東京芸術大学教授, aat+ヨコミゾマコト建築設計事務所代表


伊藤
 とくに若手と呼ばれるうちは、肩に力入れて言葉を使うところもある気がします。


新津保
 難しい語彙が多いですよね。でも、みんな、これから世に自分の建築を問うていくぞという熱は伝わってきました。そのとき、彼らに共通しているように感じたのが、造形的な新しさよりも、もっと、写真では記述できない部分を探っているように思えたことです。目に見える形よりも、身体的な感覚や心の経験みたいなものをつくりたいのではないかということを、彼らが語る言葉から感じたんですね。


伊藤
 それは新津保さんの中に、どこかシンクロする部分もあったんですか?


新津保
 自分も、そこが撮りたいなって思ってたから、建築と写真では扱っている材料は異なっているものの、お互いの関心が重なっていたというか。だから、連絡いただいたときは、はっきり言葉にはなってなかったんだろうけど、なにか共感してくれて連絡をくれたんじゃないかなって思いました。それが2007年なのです。そして、ほとんど同じ時期に北川さん(※)とも会ってるんですよ。

※ 北川一成:株式会社GRAPH取締役社長


伊藤
 おお、そのタイミングで北川さんにも。


新津保
 2006年です。そのときに、さっきのようなこと言ったら、「それだったら槇さん(※)が探ってることは面白いから、ヒルサイドテラスを撮ると参考になることがたくさんあると思うよ」と言って、ヒルサイドテラス内のいろいろな場所を撮れるよう朝倉不動産にかけあってくれたんです。

※ 槙文彦:元東京大学教授, 槙総合計画事務所代表


崎谷
 北川さんとは、どこで会ったんですか。


新津保
 ある歌手の音楽活動20周年アルバムの仕事を行うに際して、打ち合わせの場でお会いしました。それで、北川さんが経営するGRAPHというデザイン会社は、ヒルサイドテラスのE棟の中にあるんですが、この打ち合わせで、初めて建物の中に入りました。そのとき、北川さんは「E棟が一番、敷地の特性と建物の関係を体現してると思う」というようなことを言っていたんですよ。それまで、グラフィックデザイン以外のところから話すアートディレクターに会ったことがなかったので驚きました。


伊藤
 同時期に、そういういろいろな良き出逢いがあったのですね。


新津保
 そうです。原田さんは建築家として、北川さんはアートディレクターとして、いろんな着想の種をくれた人だなと思いますね。自分にとっては、とても恩のある人たちです。


崎谷
 ヒルサイドテラスの中も撮ったんですか?


新津保
 はい。そのときの撮影は北川さんのご自宅を借りて撮りました。


伊藤
 じゃあ、北川さんの家を撮影スタジオとして?

新津保 リビングをお借りして、窓から室内に差し込む光の輪郭を撮影したんです。

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《HILLSIDE TERRACE》(2006-2007) ©新津保建秀

新津保
 ただ、それだけだと抽象的すぎたので、葉山の一色海岸、そこの御用邸の近くに岬があるから、そこで撮りたいということを伝えて、皆で向かいました。


崎谷
 御用邸の近くで。そこは一般人も入って良い場所なんですか?


新津保
 御用邸に面した一色海岸は、地元の人に親しまれているところなんですよ。それで、当時、自分の興味は、街の中の“際”(きわ)だったんです。街を歩いてると、ある土地を境にして印象ががらっと変わる場所がありますが、そういう所を探りながら撮っていたんです。北川さんとの撮影では、渋谷区猿楽町の中の、そういった土地の“際”と、一色海岸のなかの“際“を接続していくことを提案したら、それは良いねということで乗ってくれたのです。北川さんとの撮影は、毎回実りのある発見が多かったですね。

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《境界_渋谷》(2002-2006) ©新津保建秀

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上:《境界_大宮#2》, 下:《境界_大宮#3》(2002-2006) ©新津保建秀

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《境界_葉山》(2002-2006) ©新津保建秀

伊藤
 ちなみに、新津保さんの今まさに言語化されているようなテーマの設け方は、大体おいくつぐらいのときに出てきたんですか?


新津保
 20歳から24歳ぐらいのときです。はじめは頭の中の小さな種みたいなものでしたが、ある程度はっきりとした形で意識し始めたのは2002年ぐらい、妻に会ってしばらく経ったときだと思う。妻は東京外語大で朝鮮半島の近代建築について研究していたのですが、言葉に厳密なところがあって、僕が何気なく発した内容に対して、さりげなく「それってどういうこと?」って聞いてくるのですよ。それに答えようとしてるなかで輪郭ができたのかもしれない。


伊藤
 じゃあ、引き出された、あるいは彫刻されたという感じですか?


新津保
 そう。だから産婆のような(笑)。スランプのときだったから、本当に感謝していますね。


伊藤
 その奥さんとお会いしたのは、大体、新津保さんがおいくつぐらいのときですか?


新津保
 僕が33歳のときです。妻は干支がひと周りほど年下で。そのとき我々が最初に住んだ所は、永福町から少し歩いたところの大宮八幡という神社の近くでした。それで、その付近を一緒に散策するなかで、土地固有の気配、アフォーダンスの良し悪しについて考えるようになったんですね。

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《fieldrecording_06》(2002) ©新津保建秀

新津保 その後、子供が生まれる前に、仕事場と家を近くしたかったので、代官山駅近くにあるマンションに引っ越して、作業部屋と自宅を一緒にしたんです。写真のスタジオや現像所が近所に集まっていて便利だったからという理由なんだけど、毎日代官山から坂をくだった渋谷川のところとか、ごみ焼却場の付近とかを歩いて通ううちに、それまで考えていたことが何となく固まりかけてきたんですよね。まさに、そのときに、さっきお話しした北川さんに会ったんですよ。あと、北川さんの周囲には、増田さん(※)はじめ、いろんな方がいますよね。

※ 増田徳兵衛:増田徳兵衛商店14代目当主


崎谷
 あの増田徳兵衛さん?


新津保
 はい。増田さんを介して、京都のいろんな場所に連れて行っていただいたんです。そのとき、いろいろなものが繋がっていった気がしました。これはうまく言えないんだけど、それまで、建築という営みは、建物を造るものかなと思ってたんですけど、モノとしての建物はただの取っ掛かりにすぎなくて、そこで醸成される人の繋がりとか、家族との時間とか、思い出とかとか、そうしたものをつくってるんだなというのを感じたんです。モノの向こう側にある、心の世界に作用することをやってるんだというのは、増田さんに連れてっていただいた茶室とか庭園を訪れたときに思いましたね。だから、優れた建築家はそこにリーチしてるように思います。一見とてもいいデザインだけど、何か物足りないという場合は、作者の思想がそこに及んでない。その場に身を置いた人の心に伝わっていかないですよね。



<次編:vol.3『空間の”奥”をとらえて』>

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