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INTERVIEW

NO.36

新津保建秀 vol.1『被写体の心の在りかを探る』

INTERVIEW

2022/04/20 00:02

#新津保建秀
#槙文彦#東浩紀#藤村龍至#ドミニク・チェン#隈研吾#北川一成#川添善行#原田真宏
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新津保建秀さんは、現在数あるメディアや媒体の多くで活躍する、第一線を駆け抜けるカメラマンである。国内外のさまざまな場所で写真撮影を手掛け、その対象はあらゆる著名人・文化人のポートレートから、巨大な展示物としての風景・建築写真などまで広範に渡る。
今回のインタビューでは、新津保さんの近年のプロジェクトを皮切りに、過去の原体験や人々との出逢い、ご自身の中で深めてきたテーマについて聞き、その創作に込められた思想や、写真表現の身体性・時代性・倫理の問題などまで広く深く語ってもらった。
彼はこれまでどんな経験をして、誰と出会い、そしていま何にレンズを向けるのか。
――ファインダーの奥にのぞく情熱の眼光に迫る。

ntitled・2019.jpg

《Untitled》(2019) ©新津保建秀
パンデミックの前年にリスボンで撮影したもの


伊藤
 今日はよろしくお願い致します。まず、近年手掛けられているお仕事のお話しからお聞かせ下さい。新津保さんといえば、風景とポートレートのイメージがあるのですが、最近は建築の撮影のお仕事もされてますよね。それは、いつ頃からなんですか?


新津保 
以前から、大手住宅メーカーとの撮影や『カーサブルータス』といった雑誌など、建築関連の仕事はあったのですが、この5年ぐらいは毎年長めのプロジェクトが1つか2つくらい続いています。そこに至る前には、2009年から継続的に、槇文彦さん(※)が設計した代官山ヒルサイドテラスを撮影していたことが大きくて、また、assistant(※)が設計した科学未来館での展示風景の撮影や、2011年から2013年にかけて東浩紀さん(※)、藤村龍至さん(※)たちと震災後の東北地方へ取材にいったこともあります。東さんとは2013年にウクライナへ、チェルノブイリ原発の取材にもいっています。そして、これと並行して取り組んでいたのが『仙行寺本堂建替え 記憶の交差としてのアーカイブ』というプロジェクトで、テルモ生命科学芸術財団の助成を受けて、マウントフジアーキテクツ(※)、GRAPH(※)、ドミニク・チェンさん(※)、石山星亜良さん(※)らと共同で取り組みました。これらを経て、自分のなかで考えがまとまった時期に、代官山ヒルサイドテラスが50周年を迎えるにあたっての書籍『HILLSIDE TERRACE 1969-2019 -アーバンヴィレッジ代官山のすべて-』のための撮影依頼がありました。これを作るために、これまで撮影した写真に加え、一年ほどかけてあらたな撮り下ろしを行い取り組みました。その翌年の2020年には、隈さん(※)の『東京 TOKYO』という本がKADOKAWAから出たんです。そして、その次に来たのが、今取り組んでいる高松市にある四国村の仕事なんですよ。今、その三つが繋がってきていて。四国村は、ウェブサイトの方の仕事が、隈さんの『東京 TOKYO』をやっていたときと、ちょっと時期的に重なっていて、それは一成さん(※)のとこから来た仕事だったんですね。

※ 槇文彦:建築家, 元東京大学教授, 槙総合計画事務所代表

※ assistant:松原 慈+有山 宙による建築ユニット

※ 東浩紀: 批評家/作家, ゲンロン創業者, 合同会社シラス代表

※ 藤村龍至: 建築家/東京芸術大学准教授, RFA主宰

※ マウントフジアーキテクツ: 原田真宏+原田麻魚

※ ドミニク・チェン: 情報学者, 早稲田大学准教授 , 株式会社ディヴィデュアル創業者

※ 石山星亜良:多摩美術大学アートアーカイヴセンター研究員

※ 隈研吾:建築家/東京大学特別教授, 隈研吾建築都市設計事務所代表

※ 北川一成:グラフィックデザイナー/アートディレクター, 株式会社GRAPH取締役社長


伊藤 崎谷さんとも一緒にやっている四国村の仕事ですよね? 一成さんのウェブサイトの仕事とは、偶然重なったんですか?


崎谷 偶然なんだよ(笑)。


新津保 
そう。それで、ウェブサイトのときは四国村の敷地内を歩いて撮っただけなんですけど、昨年の秋口にそれとは別に、四国村に収蔵されている民具とか古民家、ほかの建物の空間などを撮って欲しいという相談をいただきました。だから、そういう仕事が三つか四つほど連続してる感じなんです。


伊藤 隈さんとの仕事で言うと、角川ミュージアムのプレオープンが、2020年の夏ぐらいにありましたよね。たまたま行く機会があったんですが、そのときはまだ隈さんの展示のところしか物が入っていなくて、行ってみたら、展示物のすごく大きな写真に新津保さんのクレジットが入っているのを発見して、「新津保さん、今こういうこともしてるんだ」と思ったんですよ。


新津保 
そう。あのときは、『東京 TOKYO』の写真集の撮影の依頼がまずあって、それと同時に、角川ミュージアムのこけら落としの展示で大きい写真を出したいから、そこを視野にやってくれっていうことだったんですよ。


伊藤 先に本があって、それを展示に拡大したと。


新津保 
並行してやった感じですね。あと、これは建築ではないんだけど、去年の暮れから角川武蔵野ミュージアムで “武蔵野の食”をテーマにした展示があったのですが、それに向けた武蔵野の風土を撮ってほしいという依頼が角川武蔵野財団から来ていました。


伊藤 そのときは何をテーマに?


新津保 
国分寺崖線って分かります? 昔の多摩川の流れでできた崖があるんです。


崎谷 河岸段丘ですね。


新津保 
そう。武蔵野の風景を撮るという依頼については、ここを軸にやってみようと思って国分寺崖線沿いにどんどん撮影をしていました。終端が田園調布の辺りで、そこから立川の方に辿っていく。そういう作業を去年のコロナの間にずっとやっていました。

02.《国分寺崖線》(2021) 遠景の風景.JPG

《国分寺崖線》(2021)  ©新津保建秀
遠景の風景

新津保 
その切っ掛けは、隈さんの本での作業だったんだす。この本に着手するにあたって担当編集者の伊集院元郁さん、井上直哉さんと話しているうちに、建築家が幼少期を過ごした場所で撮ろうとなったのですが、隈さんは田園調布の幼稚園に行ってたらしいんですよ。幼稚園、小学校と田園調布だったらしい。それで、一番最初の撮影は、まずは田園調布を歩いて建築家が幼年期をすごした風景を追体験することから始めました。そのとき、多摩川が一望できる所に行き着き、「ここは国分寺崖線の端っこだ」ということに思い至りました。その後、崖線を調べていったら、これまで自分がなんとなく好きで撮っていた場所が、その崖線上に多くてですね。それで、撮り始めました。そういう作業を去年のコロナの間にずっとやっていました。

《武蔵野_国分寺跡》(2021)国分寺崖線お歩きながら撮影したシリーズの中から

《武蔵野_国分寺跡》(2021)  ©新津保建秀
国分寺崖線を歩きながら撮影したシリーズの中から

伊藤 崖線をテーマに撮るというのは、新津保さんから提案したんですか?


新津保 
はい。『東京TOKYO』の撮影のときにうっすら掴んだものを、武蔵野を撮るなかで探れるような気がしたのです。


伊藤 もともと崖線沿いで個人的に好きで撮られていたと仰ってましたけど、それは例えば、どういう場所を撮影していたんですか?


新津保 
国分寺跡とか国立とか、あと等々力渓谷や、東宝の撮影スタジオがある仙川のあたりとか、二子玉川とか。あとは、武蔵小金井の方にある”ハケ”と呼ばれる崖線の下の湧水や、野川とかも好きで撮っていました。

《武蔵野_ハケ》(2021)国分寺崖線お歩きながら撮影したシリーズの中から

《武蔵野_ハケ》(2021)  ©新津保建秀
国分寺崖線を歩きながら撮影したシリーズの中から

《等々力》(2021)

《等々力》(2021)  ©新津保建秀

伊藤 その好きっていうのは何でしょう。地形なんですか?


新津保 
なんだろう。地形というか。自分は西荻で生まれたんですけど、小さいころよく井の頭公園に行っていて、そのとき見た武蔵野の独特の佇まいがあってですね。現在は、だんだん消えてきちゃったんだけど、国分寺崖線の所、とくに木々がおおい茂っているところはそれが残ってる気がしていて、その雰囲気に惹かれていたような気がしています。


伊藤 小さい頃に見ていた風景に惹かれている。


新津保 
原風景みたいなものですかね。郷愁があるんでしょうね。だから、隈さんの本を撮るときに、そういうところから着手したいとお伝えしたら、「だとすると田園調布に行ってみてください」と教えていただいたのです。


伊藤 じゃあ、新津保さんのルーツと、隈さんのルーツが少し重なったような。


新津保 
そこまで言うのは気が引けますが、誰かが作ったものを写真に撮るときは、小さくとも共通の接点や感情移入できるところを見い出すと取り組みやすいので、この時はとっかかりが見えました。これは共同作業の場合もそうで、編集者と打ち合わせするときとかも、なるべく、その人の最近の関心事とか、土地にまつわる思い出を聞くようにしています。


伊藤 じゃあ、結構そういう個人的なことが撮影内容にも反映されている?


新津保 
はい。その人がなんとなく好んでいることや探っていることの中に、自分が共感できる部分を探ってやるという感じです。でも、以前に川添さん(※)と鶴見を歩いたとき、川添さんはずっと非常に工学的な視点から建物のことを喋っていたから、最初は風景に対して、あんまり情緒がないんだなと思った(笑)。

※ 川添善行:東京大学建築学専攻准教授, 空間構想一級建築事務所主宰


伊藤 淡々としてますからね。

新津保 ところが、ある場所に行ったときに、はっと立ち止まって、彼の気持ちがすごい揺れてるのが分かったのです。それは工場地帯の中の、貨物列車の路線が分岐する所で、向こう側に鉄線がばーっと連なっていて。とにかく鉄だけでできている風景の中、線路が赤茶けた砂利の上を走っていた。そこをゆるーっと貨物が通っていく。川添さんはそこで、ものすごいエモい感じになって佇んでいたので、どうしたんだろう?と思っていたら、「すごいことに気付いた。」って言う。「何ですか?」と聞いたら、「僕はここで父と子どもの頃、電車を見ていました!」って。


鶴見の線路.png

鶴見の線路 ©新津保建秀
雑誌『kotoba』,No.33, 2018より

崎谷 原風景?


新津保 
そう。「期せずして、ここに、今日、遭遇してしまった」というのを聞いたんですね。そのとき、川添さんにとっての原風景はここなんだなと思ったんですよね。この瞬間、川添さんのことが少し分かった気がした。反応するポイントっていうか、見ていたものが違うんだなと。自分は森とかそういうものなんですけど、川添さんにとっては工業地帯のああいう、全部人工物で構成された風土なんだよね。

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沿岸の工業地帯の風景 ©新津保建秀
雑誌『kotoba』,No.33, 2018より


伊藤 川添さんは、たしかお父さんが航空エンジニアをされてましたよね。周りが機械系、工業系というのもあるんでしょうかね。


新津保 
人はそれぞれ、自分の心の中で、意味で区切られたものと目の前のものとを対比させて見てるから、川添さんが心の中で対比させてる要素というのが、自分と違ってただけなんだなというのは思いましたよね。


伊藤 そうですね。でも、分からないところもあって、建築とか土木の専門家になってしまうと、風景に対してドライになっていくところもあるんですよ。だから、なかなかエモくなれないというか。


新津保 
ああ、なるほど。でも、面白いこともあって、自分にとっては見過ごしちゃうものも、たとえば、「ショッピングモールの建物と工場ってほとんど同じなんですよ」って言ってて、「どういうこと?」って聞いたら、「一番ローコストで建てられるから、構造体に関していえば、巨大商業施設と工場というのは一緒なんだ」って解説してくれて。どこを歩いていても、そのようにきちっと解説してくれて。そのときは、さすが建築の先生だ、と思った (笑)。


伊藤 たしか、その鶴見を歩かれたときは、それこそ線路とかも撮られてましたよね。


新津保 
撮りました。あれは集英社の『kotoba』(集英社)とかいう雑誌の企画でね。


伊藤 あの雑誌、面白かったですね。


新津保 
面白かった。担当編集者が、とても変わった方だった記憶があります。


伊藤 熱量が高いですよね。


新津保 
そうなんですよ。


伊藤 新津保さんの掲載されていた号では、銀塩写真をやってる人がビートたけしさんを撮られたりもしてましたよね。


新津保 
古典技法でね。


伊藤 面白い雑誌でした。定期購読したいぐらいの内容だったけど、今、新津保さんとの会話で思い出しました。


新津保 
あのときの川添さんとの散策をおえてみて、建築家の原風景だけを本にしても面白いんじゃないかと思いましたけどね。


伊藤 そうですね。とくに、建築家って人種はあこぎなところがあって、喋り慣れちゃってる人が多いので、わりとストーリーを作っていく感じもあるんですよ。


新津保 
たしかに話がうまい人が多いですね。


伊藤 だから、『土景』でもインタビューするときに、本人がおそらく聞かれてないだろうなっていうところを拾っていくスタンスを取っていて。


新津保 
みんな、うまいこと語るものね(笑)。


伊藤 プレゼン慣れしちゃってるから(笑)。ご自身のことを聞きたいといっても、すぐサクセスストーリーとか、失敗談とか、割と芸人さんみたいにオチが作られた感じで。


新津保 
でも、子どものとき、どこに住んでいたというのは改変のしようがないもんね。


伊藤 そうなんです。


崎谷 それが、この『土景』で聞いていきたいところなんですよ。ここで、人の生き方をアーカイブしていかないとって思っていて。そうしないと、若い人が結局メディアで作られた情報だけを受け取って、そこを目指すっていう行動をしてしまう。そういうことが、わりと歪みを生んでる可能性があって。


伊藤 そればっかり見て学生時代を過ごすと、結構つらいことになるというか・・・(笑)。あんまり背中を押してくれる記事じゃないなと。


新津保 
それは背中を押してくれるのがいいよね。


伊藤 もうちょっと、人が見えてくる記事のほうが良いなと思います。それで言うと――あとで自然な流れで話せればとは思ったんですけど――たとえば「未来に対して何を残したいですか?」という質問をすると、皆、それなりの回答があるんですよ。でも、「どこで最後に眠りたいですか?」って聞くと、皆、言葉に窮するわけです。


新津保 
ああ、なるほど。


伊藤 でも、それも未来に関わる話だなと思うんです。


新津保 
同世代の親しい友人が早く旅立ったときは、残された時間を意識しますね。じゃあ、どこで死にたいかっていうと、どこだろうな・・・でも、病院の中は嫌だな。


崎谷 死ぬ場所もそうですし、死んだら物質として身体が残りますよね。日本だったら、火葬されて、骨を納めることが一般的ですけど、その場所も気になります。


新津保 
そういうことね。今はロッカーみたいなのもありますね。


崎谷 マンションのような納骨堂もあるし。


新津保 
あれ、すごいですよね。行ったことあります?


崎谷 ないです。


新津保 
自分は、あるんですよ。マウント・フジさん(MOUNT FUJI ARCHITECTS STUDIO)が手がけた仙行寺という池袋にあるお寺があるんですが、知人のお母さんがこちらのご住職と家族ぐるみで親しくて、「建築家を探してる」と相談を受けまして、原田さん(※)たちのことが思い浮かんだのでお伝えしたんです。それで完成したときに見に行ったら、本当に完全自動制御で、番号を入れると個室の空間に納骨堂が自動制御で出てくるんですよ。

※ 原田真宏:芝浦工業大学教授, マウント・フジ・アーキテクツ代表
※ 原田麻魚:マウント・フジ・アーキテクツ代表


崎谷 最後、僕らの命が絶えた後、肉体はどこに行くのかという話ですよね。生まれた場所は選べない、でも死ぬ場所、埋まる場所、眠る場所は考えられる。


新津保 
お墓とかね。


伊藤 人によっては海に撒いて欲しいっていう人もいたりしますよ。


新津保 
ああ、それでいうと「鳥葬にする」って言われてますけどね・・・。


伊藤 それは誰に言われているんですか?


新津保
 知り合いが冗談で(笑)。「そんなことしてると鳥葬にするぞ」って(笑)。ひええ、みたいな。


崎谷 ちょっと待って(笑)。


伊藤 スパイス効いてますね。


崎谷 でも、今、われわれはこういうリアクションだけど、チベットの方では、ちゃんとした埋葬方法ですよね。


新津保 
日本でも岩場に、ただぽんと遺体を安置しておくだけの風葬があると読んだことがあります。


伊藤 聞いたことありますね。新津保さんの中でも、漠然とイメージみたいなものってありますか。


新津保 
でも、大きな自然のなかに撒いてくれっていうのはいいな。シャーっと。


伊藤 いいですよね。今のところ、一番、多いんですよ。


新津保 
撒くのがですか?


伊藤 そうです。現代的なのかなと思います。あまり宗教的じゃないというか、特定の宗教に属してない。なにかしらの信仰はあるけど、広く自然崇拝という感じで。そのほかに、樹木葬というのもありますけど。


新津保 
ああ、樹木葬ってありますね。


伊藤 皆、なんとなく、どこかには帰りたいけど、特定の人間集団ではないという感じがありますね。


新津保 
日本のお墓って、がちっと土地に根付いた場所だもんね。


伊藤 檀家もいますよね。


崎谷 ちょっと古い集落に行くと、共同墓地なんかもあって大切にされてるし。要するに共同体としての意識が相当高い。それも含めて集落だという意識があると思うんだよね。さっきの例は、わりと現代的とも言ったけど、死に対して、共同体的な思いというのはあまりない。人がいて今の自分がいるっていう、そこの連続性が薄くなってる。


新津保 
希薄になってんだね。


崎谷 それは別に悪いことじゃなくて、そういう時代だっていうことだと思うんだけどね。



<次編:vol.2『建築家たちとの邂逅』>

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