伊藤遼太さん(Ito Architecutre Associates)は、本メディア『土景』のディレクターも務める若手建築家である。その活動は、建築設計やwebディレクションの他にも教育研究活動、写真・動画の撮影編集、仮想現実空間の制作など多岐に渡って展開している。
今回のレビューでは、彼がずっと魅了され、考え続けてきたという”空間と時間の関係”について、その思考と実践を通じて語ってもらった。
「建築じゃないかもしれない。今っぽくもないし、主流でもない。未だ答えのないことを、こうして話して良いものか不安もある。」
そう前置きをしてから始まった講演録。
――空間の背後に潜む、時間という哲学的領域へ口火を切る。
しかし、つくるという点では問題があって、大きな風景みたいなものに対して、たとえば建築をどう設定していけば良いのか。風景と建築の関係がある。さらにはその中に部屋をつくんなきゃいけないので、建築と部屋の関係もある。
そうなると、いくつかスケールに則して、時間的な厚みの違いのようななものがあるわけです。
Q.1:スケールを横断する関係の問題
つくるといっても、単独で成立するものばかりじゃないので、どうやって、こういうものを接続して考えたらいいんだという問題がある。それについて、やはり、いくつか参考になるような事例を見て、考えてみなければいけません。
たとえば、これはすごく分かりやすい事例で、イタリアのマテーラという町です。太古から人が住み、岩盤を掘ってつくってきたような町でして、建物の時間と山肌の時間というのが、シームレスにつながってるんです。
Matera, Italy
岩肌が掘り込まれて、そのまま部屋にもなっているので、この景色の中に住むということと、この町に住むということと、この建物に住むということが、すごく密接に繋がっている在り方だなと思います。現代でこれと同じことができるとはあまり思いませんが、これは一つ、在り方としてあるだろうと。
あとは、ローマの教会に行ったときのことですが、日曜日でたまたまミサをやっていて、人が集まって讃美歌を歌っていたんですね。
ローマで遭遇した日曜日のミサの風景
ローマというのは面白い町で、あっちに行けば400年前の建物、こっちに行けば1000年前の建物といった感じで、ごろごろ転がっているんです。だから、都市に対して、時間が過ぎ去る感じではなくて、蓄積している感じがするんです。そこで、日曜日になると、ふらっと地元の人が集まってきて、ミサの賛美歌を歌っている。そういう昔の街や建物――現在化した過去の空間――があって、現在の人々が当然のようにそこでオーバーラップし…
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