日本建築学会賞など数多くの賞を受賞し、日本を代表する建築家である内藤廣さん。近年は、大都市東京の真ん中に明確な用途をもたない異質な施設「紀尾井清堂」が建ち、東日本大震災の復興現場では「高田松原津波復興祈念公園の国営追悼・祈念施設」が完成した。また、東京都の景観審議会の委員を長年務め、現在進行中の渋谷駅周辺の再開発プロジェクトでもデザイン会議の座長などを務める。
今回のインタビューでは「風景とは、景観とは何か。そして我々には何ができるのか」という問いを起点に、いま内藤さんが建築に込める想いを尋ね、また幼少期の記憶や感動した原体験、さまざまな人との出逢いと別れ、これからのことなど、内藤さん自身の過去・現在・未来についても語ってもらった。
「それは”生きる”っていうことです。」
――生と死の狭間で、つくり続け、何を残し、どこに還るのか。
聞き手は、東大景観研究室時代の教え子でもある土景編集長・崎谷浩一郎。内藤廣の個人史にも迫る珠玉のインタビューを公開。
崎谷 今後やりたいことって何かありますか?
内藤 そうだね。今、何がやりたいかな、って思ったんだけど。もちろん建築的にやりたいことはたくさんあるし。
崎谷 そうですよね。
内藤 ここのところちょっと言ってるのが、「建築それ自身にしか回収できないような価値をつくりたい」って言ってるんです。それは要するに、さっき言った話と繋がってるんだけど、資本主義社会にあっては、あらゆる価値が資本主義に回収されるわけですね。それはメディアだったり、それから使い勝手だったり、機能だったり、それからマネージングだとか。だけど建築の本質的な価値っていうのは、本来、そういうものとは全く切り離されて独立してあるんじゃないかと最近思うようになって。どんな建築を造ろうとみんな何か資本主義に、あるいはグローバルな仕組みの中に取り込まれてしまうんだけど、取り込み切れないものがあるはずだ、と思っていた。で、考えてみたら僕がずっと無意識のうちにやろうとしてきたことはそれなのかなと思い当たった。たとえば、「海の博物館」の収蔵庫が僕の出発点みたいなものだけど、床は博物館に収蔵庫として使われてるので、船があったり網があったりしてるんだけど、それを全部除いてみても何か不思議な価値があるんだね。それっていうのは、あれが博物館であろうとコンサートホールであろうと、なんであろうと成り立つような価値があって、本当は、僕はそういうものをやりたいと思っているのかな。住宅でも何でも、複合的な機能だとかがわりと狭いところにいろいろあると、そういうのがごちゃごちゃに混ざって本来的な価値が見えにくくなってるんだけど、そういうものを見えやすい形に置き換えるっていうことは多分あり得るんだろうと思い始めてる。過去の作品とかをじっと見直して、ああそうかと気づくところがあった。これはだから、もちろん博物館だったり美術館だったり、住宅だったり駅だったりするんだけど、でも別に駅でなくてもいいよねっていう、そこのところの価値っていうのは必ずあるはずで、僕のこれからの仕事は、できるだけそういうものを救い出すっていう方向に向かうんじゃないかと思う。建物自体は公共であれ民間であれ、資本主義的な仕組みの中でしかできない。巨大なお金がいるので。だけど本当にやりたいことっていうのは、そこからちょっと切り離されたところにあるのかなと。
海の博物館の外観
提供:内藤廣建築設計事務所
海の博物館 展示棟内観
提供:内藤廣建築設計事務所
海の博物館 収蔵庫内観
提供:内藤廣建築設計事務所
崎谷 今までの活動を総括するというところで言えば、映像をちょっと進めてるとか、そんな話もちらっと噂に聞いたことがありますが。
内藤 ガンちゃん(※)? そう。滞ってます(笑)。いずれ事務所のホームページで公開する予定ですけど、十年後かな(笑)。
※ 岩本健太:1979-,映像作家
崎谷 そうなんですね。見返すっていうと、一つは映像でもそれをやりながら、編集して見やすくするのかなと思って。
内藤 あれでやろうとしたことは割とはっきりしていて、今、僕が言ったこととは違う次元で、僕の仕事っていうのは「分かりにくい」っていうことがあるわけです。伝わりにくいし、分かりにくい。そこが隈さん(※)や妹島さん(※)との違いで。分かりにくいっていうのは、当然さっきから話してるような話とも繋がるんだけど、僕が欲しいのは何とはなしにそこにある空気だとか空間だとか、こんな感じみたいな、そういうものを求めてるわけですよね。それって伝わりにくいですよね。だから、その伝わりにくいところを何とか少しでもたくさんの人に伝え…
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