NO.55
内藤廣 vol.4『求めなければ生まれない』
INTERVIEW
2022/08/05 00:08
日本建築学会賞など数多くの賞を受賞し、日本を代表する建築家である内藤廣さん。近年は、大都市東京の真ん中に明確な用途をもたない異質な施設「紀尾井清堂」が建ち、東日本大震災の復興現場では「高田松原津波復興祈念公園の国営追悼・祈念施設」が完成した。また、東京都の景観審議会の委員を長年務め、現在進行中の渋谷駅周辺の再開発プロジェクトでもデザイン会議の座長などを務める。
今回のインタビューでは「風景とは、景観とは何か。そして我々には何ができるのか」という問いを起点に、いま内藤さんが建築に込める想いを尋ね、また幼少期の記憶や感動した原体験、さまざまな人との出逢いと別れ、これからのことなど、内藤さん自身の過去・現在・未来についても語ってもらった。
「それは”生きる”っていうことです。」
――生と死の狭間で、つくり続け、何を残し、どこに還るのか。
聞き手は、東大景観研究室時代の教え子でもある土景編集長・崎谷浩一郎。内藤廣の個人史にも迫る珠玉のインタビューを公開。
伊藤 内藤さんといえば建築、つまりモノづくりの方ですが、お父さまもモノづくりをされていたと先ほどお聞きしました。しかも、理系寄り、工学系のように思えますけど、一方で、内藤さんは人文系の領域もすごく強いですよね。
内藤 ぼーっとしてるからね(笑)。
伊藤 大学に入られて以降、吉阪先生(※)のところに行ったことの影響も大きいとは思いますが、10代の頃から、そういう方面にも関心があったんですか。それ以前にも当時読まれていた本とか。
※ 吉阪隆正:1917-1980, 早稲田大学 元・教授/元・理工学部長, 建築家
内藤 どうなんだろうなあ。(少し思案して…)山口文象さん(※)の影響は大きいのかなあ。なんかね、山口さんの交友範囲ってすごく広くて、絵描きの猪熊弦一郎さん(※)が親友だし、それからいろんな人、たとえば哲学者の三枝さん(※)だとかそういう人たちとも非常に親しかったらしい。学生の時は月一遍ぐらい山口さんの所に行って話し込んでいたんだけど、その時に聞いたことがあるんですよ。その当時、山口さんのことをオジサンって呼んでたんだけど、「おじさん、どうしたらそういう交友関係を持てるんですか」って。そうしたら、「求めなさい」って言われた。
※ 山口文象:1902-1978, 建築家
※ 猪熊弦一郎:1902-1992, 画家, 芸術家
※ 三枝博音:1892-1963, 哲学者, 科学史家
崎谷 求める。
内藤 自らね。求めなければ生まれない、だから求めなさい、と。そうじゃないと繋がらないって。そう言われたからそうしたっていうよりも自然とそうなったのかもしれないけど、それ以降僕の知己を得た人たちっていうのは宝物、本当にかけがえのない素晴らしい人たちにこれまで出会ってこれたと思ってます。これが僕の人生でのいちばんの贅沢。それが栄養になってるのかもしれないね。一番影響受けたのは、もちろん恩師の吉阪隆正。それから生け花の中川幸夫さん(※)、写真の石元泰博さん(※)。教えを受けた人はそのほかにもたくさんいる。
※ 中川幸夫:1918-2112, いけばな作家, 芸術家
※ 石元泰博:1921-2012, アメリカ生, 写真家
崎谷 話聞きに行けそうな方いらっしゃったらご紹介いただきたいですね。
内藤 もうみんな亡くなってるからね。
伊藤 山口さんの所でも、そういう方々とお会いできてたんですか?
内藤 いやいや、全然。僕が生きてく中でね、「求めなさい」と言われたので、できるだけそういう人に会いたいなあと思っただけ。あと、スペインにいたときにフェルナンド・イゲーラス(※)のアトリエにいたからね。まずあそこでいろ…
全文を表示するにはログインが必要です。