日本建築学会賞など数多くの賞を受賞し、日本を代表する建築家である内藤廣さん。近年は、大都市東京の真ん中に明確な用途をもたない異質な施設「紀尾井清堂」が建ち、東日本大震災の復興現場では「高田松原津波復興祈念公園の国営追悼・祈念施設」が完成した。また、東京都の景観審議会の委員を長年務め、現在進行中の渋谷駅周辺の再開発プロジェクトでもデザイン会議の座長などを務める。
今回のインタビューでは「風景とは、景観とは何か。そして我々には何ができるのか」という問いを起点に、いま内藤さんが建築に込める想いを尋ね、また幼少期の記憶や感動した原体験、さまざまな人との出逢いと別れ、これからのことなど、内藤さん自身の過去・現在・未来についても語ってもらった。
「それは”生きる”っていうことです。」
――生と死の狭間で、つくり続け、何を残し、どこに還るのか。
聞き手は、東大景観研究室時代の教え子でもある土景編集長・崎谷浩一郎。内藤廣の個人史にも迫る珠玉のインタビューを公開。
崎谷 今日はよろしくお願いします。『土景』というメディアのインタビュー先は、歌手であったり建築家であったりと、専門はそれぞれですが、その人がその専門に至る前の原体験的なもの、原風景的なものをずっとアーカイビングしていこうというのでやっています。なので、今日も内藤さんの原体験や原風景についてお聞きしたいなと思っています。研究室時代に、ちらっとは聞いているんですけど。
内藤 そんなもんかね。あんまり語ってないか(笑)。
崎谷 そこに絞って聞いたことは実はなかったですね。
東京大学での景観学講義の様子(2002年5月)
内藤 いいかげんに生きてるからさ、原風景とかって聞かれてもなー(笑)。改まって聞かれても、何かなって、さっきも考えてたんだけど。
崎谷 というのも、まず僕らが研究室で使ってきた“景観”という言葉は、構造化されて、客体化されて、客観化された景色とか、その構造化された系そのもののことを言っていますよね。それに対して、“風景”とは何かという命題があるじゃないですか。このことを『土景』のメンバーでいろいろ議論していて――以前にも内藤さんに聞いて頂いたかもしれないですが――“風景”というのは個人の記憶や体験に基づいて、見立てられて初めて風景になるという仮説を立てています。そして、「その原初的な経験や記憶、体験というのは言葉にすると何だろう?」というので“土景”という言葉を当てているんです。まずは、こういう立て付けの中でやってみようということですが、そもそも意外とこういう考え方をまとめたメディアがなかったり、インタビューして聞いていくというメディアが無いなと。若い人にとっては、こういう話こそが次の一歩を踏み出すための取っ掛かりになるんじゃないかなと思ってます。
伊藤 “美しい風景”というものや、そういう感覚が在ることは皆わかっているんですけど、それが何なのか、どういうふうに考えれば良いのか。それをきちんと言葉にする機会ってなかなかないと思うんです。当然それは一人一人によって違ったりもするので、歌や建築や写真など、何かそういう表現をしたり活動している人に、それぞれの個々人の考え方とかを聞いてみようというのが、最初の取っ掛かりになるかと考えています。
崎谷 というのが、今回の『土景』なんです。
内藤 はあ。
崎谷 また、それとは別に、GS(NPO法人GSデザイン会議,以下GS)をどうしようかという話も、ちょろっと聞きたいなと思うんですけど。
内藤 いや、延々と相談に乗ってたんだけどさ。ときたま苦しくなるとうちにやってきて(笑)。
崎谷 そうですね(笑)。それで、「おまえはどうするんだ?」って聞かれるんですけどね。
内藤 そうそう。
崎谷 篠原先生(※)とも話はしているんですけど…。これに関して、いろいろと思われることもあって、この間にお話したときも、「それって本当に若い人が求めてるのか?」と。「GSとこの土景っていうのは別物で、GSはGSでちゃんとやるべきだ」と。その一方で、「僕はもう君らに任せるけど」とは仰っているんですが…。僕らとしてはGSをなくすつもりはないんですけどね。むしろGSという場所があったから、いろいろな繋がりができているし、今日に至るのもGSがあるからだと思ってますから。そういう環境は、若い人にとって本当に大事だと思っているので残していきたいんです。
※ 篠原修:1945-, 東京大学名誉教授, 景観デザイン, 土木設計論, 土木計画思想史, GSデザイン会議代表
NPO法人GSデザイン会議がおこなってきたGSDW(グラウンドスケープ・デザイン・ワークショップ)の様子(2005年9月撮影)
内藤 いや、でも無理しないようにね。何事にも賞味期限っていうのがあるんだから。
崎谷 まあ、そうですね。GSも最初5年やってみようって仰ってましたもんね。
内藤 そう。最初に言ったじゃない、5年刻みでやろうって。何事にも賞味期限ていうのがあるんだからさ。まあ、それはそれだけど、土景にもアドバイスを言うとすれば、賞味期限はあるからね。延々と続けようなんて思ったら苦しくてしょうがない。賞味期限内で完全燃焼した方がいいじゃない。
崎谷 そうですね。GSのきっかけとなった2003年のGROUNDSCAPE展から、来年でちょうど20年になりますしね。
内藤 おお。
崎谷 怖いですよね(笑)。
内藤 結構ため息出ちゃうな…あれから20年…。懐かしいね。
崎谷 懐かしいですね。一ヶ月あまりで4500人近くの人が訪れたはず。
「GROUNDSCAPE -篠原修とエンジニアたちの軌跡-」展(2003)
内藤 あれは、まあ、ある意味でイベント的だった。篠原さんが関わったプロジェクトのスケールの大きさを知って、それをたくさんの人に知ってもらいたいと純粋に思ったのがきっかけ。やはりすごいことだよ。これは世に問う意味があると思った。それに賛同してくれてたくさんの若者が展覧会の制作に協力してくれた。200人くらいいたかな。東京だけじゃなくて全国から集まって来た。表参道でやった展覧会は大成功で、土木の世界でああいうのをやってなかったので、みんなびっくりしちゃった。それだけで、もう目的の9割ぐらいは達成されたかなっていう気はするけどね。
崎谷 当時もやってなかったし、でも、その後も20年間やってないんですよね(笑)。
内藤 その後やってないよね。伝説のGS展みたいになっちゃって(笑)。伝説なんて言葉が出てくると、GSってグループサウンズのことってなってるかもしれない(笑)。
崎谷 グラウンドスケープという言葉も、あそこから生まれたわけですよ。あらためて当時内藤さんが監修された『グラウンドスケープ宣言』を読み直してるんですけど、そこに「グラウンドスケープとは、大地との格闘の様である」というようなことを書かれていますね。つまり、ランドスケープとは違うんだと。
内藤 そう。僕がランドスケープという言葉が気に入らなかったのは、何となく表層のデザインに流れがちというか、本当はそんなことないんだけど、世間一般ではそういう風に定着しちゃってるのが嫌だなと思ってたんですよ。篠原さんたちがやろうとしていたことはそうじゃないということは、世の中にきちんと言ったほうがいいと思った。
崎谷 その次の世代として、「内藤さんの言った“グラウンドスケープ”っていうのは結局何だ?」ということを、僕らは多分受け止めなきゃいけないと思っているんです。そして、このメディアは一つの回答だと考えています。それで、まずは“グラウンドスケープ”を日本の言葉にしたら何だろうと…。
内藤 それが“土景”?
崎谷 そうです。そこから、“土景”というのが出てきたんです。
内藤 本当かよ(笑)。
崎谷 本当です(笑)。それは姿形だけじゃないだろうと。その相手には、建築・土木・都市計画というものが基本にありますが――それらを考える上でも狭義の専門業界だけでなく――その他いろんな分野も含むだろうと。なので、土景ではインタビュー先として、いろいろな分野の人に聞きに行っているんですね。実際始めてみると、やはり風景って、みんなにとってすごく馴染みの深い話であるなと感じます。
内藤 うん。
崎谷 その一方で、景観はやはり景観という分野(=景観研究, 景観デザインなど)として、なくてはならないなとも思ってるんですけど。土景を始めてみて思ったことですが、やはり景観という概念は大切だと思います。構造的・客観的に景色、風景を捉えていく在り様というのは、皆がある種の倫理観として持つべきなんじゃないかと考えるようになりました。
内藤 君も歳ですね(笑)。
崎谷 歳ですかね? これ歳なんですか(笑)?
内藤 歳です。まともになりすぎるとあぶない。
崎谷 僕は、景観というのは、設計していれば当たり前に考えるもので、「景観に配慮する」という物言いそのものが無くなることが、景観という分野の1つのゴールだと思ってたんです。ただ、どうなんですかね、その辺は。昔の僕はそう思ってたけど、今はそうじゃないかも。景観という言葉はあり続けないといけないかもとも思い始めている。
内藤 本当だったらさ、そんなものは昔の人はみんな持ってた共通感覚っていうか、本来はそういう類のものだよ。でも、それが崩れちゃったので、あえて言葉にしなきゃいけないっていうところで出てきたのが“景観”という言葉で、中村先生(※)とか篠原さんとかが無理矢理つくったようなところもあるので、何ていうか新しい言葉だよね。それはそれで大きな意義はあったし時代も作ったわけだけど、それがやがて景観法ができて制度になると、その言葉を生み出した本意のほんの僅かな部分だけが残って、精神は全部後退して、その制度的な中で運用される。そうなってくると、また表層的な話になっちゃうんだ。
※ 中村良夫:1938-, 東京工業大学名誉教授, 景観工学
崎谷 ええ。
内藤 だけど、とりあえず今の状況は、景観という言葉がある種の歯止めにはなっ…
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