日本各地で外構設計や庭のデザイン、まちづくりに関わるランドスケープ・デザイナーの吉田葵さん。前編までのレビューをもとに、彼女が風景を考えるときに大切にしていることを話してもらった。
「丁寧にやっていって、知ってもらうっていうことも必要だと思ってやるようになったんです。」
彼女の発言からは、身近な景色の中にも気づいていないことはたくさんあると思い知らされる。風景とはその成り立ちを知り、語り合うことから始まるのかもしれない。主観と客観を横断するという彼女の考え方に迫る。
崎谷 その他の質問や感想なども聞いてみましょうか。お、いますね。よろしくお願いします。
吉田 よろしくお願いします。
会場 ありがとうございます。お話しを聞きながら考えてたことなんですけど、風景に対して客観的になるのってすごい難しいなって思うんです。風景に、わあってなったりする個人的な感情があるというか。なので、今日のお話の中で、客観的っていう言葉や、整理するっていう言葉もよく使われていたんですけど、ランドスケープアーキテクトとしてどうやって客観的な立場を担保されているのか、そもそも常に客観的であることを目的としているのか。とはいえ、主観的な体験についても分析の中でとても重視されていて、その辺のお話しをお聞きしたいです。
吉田 確かに、そうですね。でも、やっぱりモチベーションのこともあるし、風景に対しては、なんか面白いとか、なんか綺麗とかを想えないとって。客観視は絶対に必要だってのは分かっているから、データとかは使いますし。それこそ二重人格的なんですけど、写真って、けっこう良いツールで、感情抜きで写真を見て、何がこの写真の中で面積を取っているのかってことを分析したりできるんですけど、同時に、何が格好いいとか何が良い要素なんだろうとかを見たりもしていて。分析の仕方を変えている感じはします。あと、客観的に見なきゃいけないときと、それとは別に感情的な部分で人に伝えたりしているときとかもあるんですよね。
会場 その方法のところがすごく気になっていたので、ありがとうございます。
崎谷 僕も感情が入ってしまうとか、客観視しづらいっていうのも、すごい大事なことだと思うんですよ。風景に対して、どういうスタンスを取るのかっていうところですけど。それでいうと、言語とそれが意味するところっていうのは、みんな共有しておいたほうがいいんじゃないかって気もちょっとしていて。感情として大事な部分と、もう少し機能…
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