NO.63
【特別企画】『都築響一、工藤正市の魅力を語りつくす』(動画あり)
REVIEW
2023/02/23 05:28
2022年11月15日-12月23日の3週間にわたり、「土景」の事務局のある合同会社クスキチが運営する〈発酵するカフェ麹中〉で「工藤正市写真展 青森」を開催しました。この展示は、〈麹中〉と工藤正市写真集を出版したみすず書房がご近所で、担当編集の私がランチに通っていたのがきっかけとなり、オーナーの崎谷さん(土景編集長)と意気投合して実現したもの。期間中の一日、11月19日には、「青森」の縁でつながった、『津軽伝承料理』の版元・柴田書店、青森の地方紙「東奥日報」社、そして『青森 1950-1962 工藤正市写真集』の版元・みすず書房の3社で企画したコラボイベント「青森がやってくる!」も催しました。
ここではその折のトークイベント「都築響一、工藤正市の魅力を語りつくす」を振り返り、リポートします。
都築さんと聞き手の崎谷さんのやりとりを楽しみながら、ぜひ動画もご視聴ください。
(みすず書房 小川純子)
工藤正市『青森 1950-1962 工藤正市写真集』みすず書房, 2021
「捨てられていたら、完全に世の中から消えてしまっていた」
Instagram @shoichi_kudo_aomori
工藤さんの写真は、没後、家族が実家の片づけをしているときに発見された。押入れの天袋の奥に、フィルムの束が入った段ボール箱が残されていた。娘の加奈子さんが父親の撮った写真に興味をもち、フィルムをスキャニングしてみると、昭和30年代の青森の匂い立つような暮らしの情景がそこに現れたのだ。家族から見てもいい写真だと思い、みんなに見てほしいとInstagramで投稿、たちまち評判は広がった。「家族にも誰にも言っていなかった。自分の死とともに写真のことは忘れてくれということだったのかもしれない」と都築さん。でも、「捨てられていたら、完全に世の中から消えてしまっていたんですよ」。この当たり前の事実に、作者の死後、見出される表現物に宿る魂のようなものを想わずにはいられない。こういう表現物たちのことを「押し入れ発見系」と都築さんは呼んでいる。
「青森の人は“こういう青森を見てほしい”、東京の人は“こういう風に青森を見たい”」
工業学校時代から写真を撮り始めていた工藤正市さんは、10代後半から身の回りの風景にカメラを向け、当時写真ブームで隆盛を極めていたカメラ雑誌の「月例」コンテストに投稿していた。毎月のように入選し、審査員の土門拳や木村伊兵衛といった巨匠たちから高い評価を受けていた。でも、あるときからふっつりと投稿を止めてしまう。「当時はリアリズム写真こそが写真だと思われていた。それはきちっとした構図で、対象に触らないで記録する写真」。それだけではない、東京の人は「厳しくて寒くて辛い青森が見たい」でも、工藤さんが撮ったのは「悲惨なものは一つもない。貧乏な暮らしの中にもある小さな喜びの瞬間」。「青森の人は“こういう青森を見てほしい”、でも東京の人は“こういう風に青森を見たい”」という視線の温度差。これは地方での表現につきものなのだと都築さんは言う。「工藤さんはどちらにも属せなかった。行き場がなかった」のではないか。「メディアの眼は歪んでいるのを思い知らされる」と静かに憤る都築さん。それは町中の心揺さぶられる表現を探して日本中をめぐり、取材してきた都築さんの実感からくるものだろう。
「同じぐらいすごいのに、なんでみんな見ないでいられるの?」
SNSで話題になり、世界からも賞賛の声が届く工藤正市の写真。だが今もその写真が美術館で展示されることはない。そこには美術界・写真界にある「オリジナルプリント(撮影者自身がつくったプリント)至上主義」がある。そして「その根源には金がある。“エディション”とかと言って値段を高くキープするため」と。メディアや美術界のシステムにのらず、「お金にならないから見捨てられていく。掬い取られないで落ちていくものに、僕はすごく違和感がある」と都築さんは言う。だから「押し入れ発見系」はまだまだ日本中・世界中にいっぱいあるのではないか。
都築さんは、「押し入れ発見系」を見出しコレクションする目利きだ。そういうものたちに、どういう風に出会うのかと問われると「偶然出会うしかないですよね」とサラリと応えた。自身が主筆を務めるメールマガジン「ROADSIDER’S Weekly」(https://roadsiders.com/)では「一つのカッコいい物語をつくりたい気持ちはゼロ」。残しにくいけどスゴイものを見つけて、ときに作った本人にインタヴューし、そのまま記事にする。「メールマガジンはヴォリュームに制限がないから、写真千枚でも一万字でも載せられる。紙媒体だと、この紙面に写真4枚、そこにまとまったカッコいい文章ってなるけど、ネットならそのままで載せられる」。そこにあるのは「みんなにできるだけ多くの素材を提供したい。それをみんなは好きに吸収してくれればいい」という思い。ラブホテルも秘宝館もそう。「同じぐらいすごいのに、なんでみんな見ないでいられるの?」って。
トーク後半は、これまでにメールマガジンで取り上げてきた「押し入れ発見系」の写真家を紹介。
ロシアの、マーシャ・イヴァシンツォヴァ(Masha Ivashintsova )
https://mashaivashintsova.com/
モルドヴァの、ザハリア・クズニア(Zaharia Cușnir)
https://zaharia.md/en/
どちらの写真家も初めて名前を聞く人だったが、濃密な空気をまとう写真たちに目を奪われた。共通するのは、本人はただただ撮って、溜めて、しまっていただけ、ということ。そしてセルフ・ポートレイトを多く撮っている。「記録ではなく、自分はこういう場所でこういうものを見ながら生きている」という実感のためだったのではないか「人に見られることや、ここはこういう場所ですと伝えることとは関係がない」。工藤さんも「記録ではないですよね。ただ自分のまわりの人が愛おしくてたまらなかった」「自分の気持ちにのみ忠実」にシャッターを切っていた。
「伝わるべきものは伝わる」
トークの最後に紹介されたのは、生前は理解されないまま、市井の民俗学者として青森の寒村の生活具や生活着を収集した田中忠三郎。その生活着のコレクションはいま海外で「BORO」と呼ばれ、高い価値を認められている。都築さんの手により『BORO:つぎ、はぎ、いかす。青森のぼろ布文化』という本もまとめられた(小出由紀子・都築響一編、アスペクト)。同時代に理解されなくても、無理に残そうとしなくても、「伝わるべきものは伝わる」のかもしれない。
青森の人たちにとっては貧しさの記憶でしかないものが外部の目で見ると、輝いている。都築さんは取材する作法として「外部の眼で見ている」という意識を心に留めているという。
最後に、そんな都築さんが取材で出会った普通の青森のオモシロ・スポットを紹介してくれた。これについては、動画でのお楽しみに。
(了)