ベトナム・ハノイを拠点に国際的に活躍する建築家・丹羽隆志さん。今回のインタビューでは、前編のレビューをもとに、ベトナムで活動するに至った経緯や、若かりし頃の体験などを話してもらった。
盟友ヴォ・チョン・ギア氏との出逢い、東京で過ごした自由で孤独な期間、岡部憲明氏の事務所での修行時代など、今日の丹羽さんを形成する人生の様々な局面が思い起こされ、最後は生まれ故郷の白山から、現在のエントロピーを最大化するというハノイまで一挙に戻っていく。
――北国に生まれ、亜熱帯を駆け抜ける建築家の過去と未来を覗き見る。
崎谷 最後に僕の方から質問しても良いですか。
丹羽 はい、どうぞ。
崎谷 丹羽さんがベトナムで建築家として活動しているうえで、その「自分をつくったな」というような土地はありますか。
丹羽 うーん…故郷ですかね、石川の(笑)。
崎谷 松任?
丹羽 はい。白山が見えるんですよ。普段はあまり見えないんですが、冬の雪が降ったとき真っ白な風景の中にシンボルのように浮かび上がるんです。

生まれ故郷の松任(現白山市)から白山連邦をのぞむ
丹羽 家の周りは田んぼなので平らなんですけど、その中に用水路があったりしてね。冬はその中で遊んだりとかですね。田舎に行くと用水路ってすごく細くて深いんです、1mくらいあって。そこに雪が積もると地中熱で下のほうが溶けて、トンネルみたいなのが作れるんですよ。そういう場所をみつけて、いろいろ工夫して遊び場を作っていたことがありますよね。神社の竹林の中で秘密基地をつくったり。今のベトナムでも、街の中から面白いものを見つけ出してっていうのは、なんだか同じことをしてるなあと思います。あとは、シンボルを作るとかよりも、シークエンスが好きなんです。なんというか、人が通り抜けていく中でいろいろ景…
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