ベトナム・ハノイを拠点に国際的に活躍する建築家・丹羽隆志さん。今回のインタビューでは、前編のレビューをもとに、ベトナムで活動するに至った経緯や、若かりし頃の体験などを話してもらった。
盟友ヴォ・チョン・ギア氏との出逢い、東京で過ごした自由で孤独な期間、岡部憲明氏の事務所での修行時代など、今日の丹羽さんを形成する人生の様々な局面が思い起こされ、最後は生まれ故郷の白山から、現在のエントロピーを最大化するというハノイまで一挙に戻っていく。
――北国に生まれ、亜熱帯を駆け抜ける建築家の過去と未来を覗き見る。
崎谷 ちなみに丹羽さんの御両親はどんな方なんですか?
丹羽 父親は大工なんですよね。ただ、僕が物心ついたときには、市場の食品を百貨店などに配送する仕事をしていました。子供心に鉋(かんな)を引いている姿とか、母からの「この家はお父さんが作ったんだよ」っていう話を聞いたことは覚えています。
崎谷 お父さんの背中というか。
丹羽 高校から石川高専に行くことは決めていたけど、どの学科に行くかは迷っていて、最初は電子情報に行こうと思っていたんです。オープンスクールに行ったときに建築が面白そうだなと思ったんですよね。そのあたりの記憶を思い出したこともあって。建築学科に行くことにしました。そういえば、家のたんすの上から建築士の試験の教材が出てきたことがありましたね。
崎谷 そうなんですね。
丹羽さんとお父さんで地元の建築見学旅行
崎谷 兄弟とかはいましたっけ?
丹羽 弟が2人います。機械系に行って、一人はエレベーターのメンテナンスをする仕事で、もう一人は製作機械の部品をつくる仕事で。
崎谷 じゃあ、みんなものづくり系の仕事なんだ。
丹羽 そうですね。みんな工業系の仕事についています。母親は昔は銀行で働いていて、その後はいろんな仕事をしていますけど。
崎谷 お父さんの影響が大きいのかね。丹羽さんが建築に進んだことも。
丹羽 そうだと思いますね。あと、うちの父親は9人兄弟で、母親は4人兄妹です。母のお兄ちゃんの奥さんが…
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