ベトナム・ハノイを拠点に国際的に活躍する建築家・丹羽隆志さん。今回のインタビューでは、前編のレビューをもとに、ベトナムで活動するに至った経緯や、若かりし頃の体験などを話してもらった。
盟友ヴォ・チョン・ギア氏との出逢い、東京で過ごした自由で孤独な期間、岡部憲明氏の事務所での修行時代など、今日の丹羽さんを形成する人生の様々な局面が思い起こされ、最後は生まれ故郷の白山から、現在のエントロピーを最大化するというハノイまで一挙に戻っていく。
――北国に生まれ、亜熱帯を駆け抜ける建築家の過去と未来を覗き見る。
崎谷 (レクチャーで話した)最期の橋のプロジェクトの話は、以前に丹羽さんが日本に帰ってきた時に、「これから始めます」ってカフェで少し話していたやつだよね。
丹羽 そうです(笑)。
ホーチミンで建設予定の橋の設計プロジェクト
崎谷 思ったよりも、けっこう進んでいるんだなと。
丹羽 すごくスローなペースではありますが、進んでいます。市長が変わったんですけど、ゆっくりゆっくりと。COVIDでなかなか打ち合わせができなくて。
崎谷 なるほどね。あとは、やっぱりデザインのエネルギーがすごいですね。若くて元気な国だからかな。
丹羽 そうですね。こっちに来て、たくさん失敗もしたんですけど。
崎谷 その失敗談も聞きたいね(笑)。
丹羽 僕が来たときは、30歳だったんですけど、そのときのベトナムの人たちの平均年齢は28歳で。
崎谷 ああ、2歳くらい上がったんだ。
丹羽 そうです。そして、僕も10歳くらい年をとったんですけど、ここに来た当初から少しシニアな立場でプロジェクトに関われたんですよね。日本人の先輩方のおかげなのですが、日本人は技術者として非常に信頼されるということもあって。
崎谷 ヴォ・チョン・ギアの事務所(VTN architects)のときだよね。
丹羽 そうです。
ハノイの自宅前の通り
丹羽 ヴォ・チョン・ギア事務所のパートナーとして。当時はホーチミン市のオフィスしか無かったんですけど、ハノイのオフィスを立ち上…
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