西倉美祝さん(MACAP代表)は、現在京都を拠点に、全国で設計・リサーチ活動を繰り広げている若手建築家である。
学生時代から数々のコンペや設計展で受賞を重ね、その時からの継続的な思考の蓄積は”オルタナティブ・パブリックネス”という概念に結実し、彼のマニフェストの一つとして現在も掲げられている。また、それと平行しながら、SNSや数々の雑誌媒体で批評活動を展開し、『新建築』や『商店建築』など建築関連の大手メディアにおいても執筆の連載を受け持つなど、そのリサーチ・批評活動においても、突出した存在感を放っている。
今回のレビューおよびインタビューでは、彼の掲げる”オルタナティブ・パブリックネス”という概念と、それに紐づく幾つかのキーワードを基に、その思考と実践の詳細について語ってもらった。
また、そうした物事の捉え方の基盤となる彼自身の生い立ちや、現在の暮らしの中での発見など、生活史や背景についても深く聞くことができた。
「個々の欠落している、個性的な、特定の作法や振る舞いのある空間が、層のように連なることで、そこを自由に移動できる。選択性=移動する自由があるということが重要と思います。」
彼の思考は、”私”(private)と”公”(public)を二分することなく、より有機的に結びつける。
――建築視点の公共性論を自らの視点で再考しようと試みる、若手建築家の熱き情熱を垣間見る。
伊藤 もう一点ほど質問を追加させてください。先ほど崎谷さんからも同じような説明があったと思うんですけど、土景では、人が世の中につくっていくものが、その人の原体験や原風景と関連しているんじゃないかと考えています。今日の西倉さんのお話からですと、コンビニとか駐車場で遊んだ記憶についてのお話がありました。そういう原体験や原風景の一種として、建築物においても参考にしたり、影響を受けたものはありますか。
西倉 建築物だと、さきほど言ったメスキータとかですかね。他にも好きな建築物はいっぱいありますけど、参考にしたというと…どうだろう? いろんな影響があるから一言で言えないですけど、どういう意味でのってことですかね?
伊藤 たとえば、卒業論文でコンビニの研究をされてましたよね。あれは、コンビニが幼少期のたまり場だったという原体験があったからなのかなと、今日お聞きして思ったんですよね。
西倉 そう。それはあると思いますね。
崎谷 あとは、そういう原体験があったときに、ひとりだったのか、いろんな人とそれを共有したのか、というのも関係あるかもしれないですよね。あるいは、すごく不満があったとか。たとえば、コンビニの前ではたむろできるのに、他のお店の前でたむろして怒られることってありますよね。もしくは、もうちょっとナイーブな話で、やっぱり居場所がなかったとかさ。
西倉 居場所はどうなんだろうな。小さいときって、そういうことを全部受け入れざるを得ないから、あんまりどうかというふうなことってないと思うんですよね。ただ、息子が今京都に住んでて、まさにストリートで育つというか、街のコミュニティーの中で育っているというのを地で行ってるんですよ。そういう状況を見ると、良いなとは思いますし、自分の幼少期よりもいわゆる”恵まれた”環境で育っていると感じます。ただ、それを肯定してしまうと、自分の人生の根っこを否定する…
全文を表示するにはログインが必要です。