西倉美祝さん(MACAP代表)は、現在京都を拠点に、全国で設計・リサーチ活動を繰り広げている若手建築家である。
学生時代から数々のコンペや設計展で受賞を重ね、その時からの継続的な思考の蓄積は”オルタナティブ・パブリックネス”という概念に結実し、彼のマニフェストの一つとして現在も掲げられている。また、それと平行しながら、SNSや数々の雑誌媒体で批評活動を展開し、『新建築』や『商店建築』など建築関連の大手メディアにおいても執筆の連載を受け持つなど、そのリサーチ・批評活動においても、突出した存在感を放っている。
今回のレビューおよびインタビューでは、彼の掲げる”オルタナティブ・パブリックネス”という概念と、それに紐づく幾つかのキーワードを基に、その思考と実践の詳細について語ってもらった。
また、そうした物事の捉え方の基盤となる彼自身の生い立ちや、現在の暮らしの中での発見など、生活史や背景についても深く聞くことができた。
「個々の欠落している、個性的な、特定の作法や振る舞いのある空間が、層のように連なることで、そこを自由に移動できる。選択性=移動する自由があるということが重要と思います。」
彼の思考は、”私”(private)と”公”(public)を二分することなく、より有機的に結びつける。
――建築視点の公共性論を自らの視点で再考しようと試みる、若手建築家の熱き情熱を垣間見る。
崎谷 『土景』をやっていて、いろいろな人にインタビューしているんだけど、やっぱり、その土地と、その場所における個人の記憶・体験・意思のようなものが、その人の人生や社会活動に大きな影響を及ぼしていることは間違いなさそうだなと思っているんです。ただ、自分の辿ってきた道や原体験みたいなことは語れる人がけっこう多いんだけど、これからの自分とその土地との関係について話せる人って意外といないんですよね。で、差し支えのない範囲で、そういうところについても聞いてみたいと思っています。さっそくですが、今、西倉さんは京都に住まれていますけど、育ちは関東・神奈川ですよね。横浜の近くで生まれ育ったんですか?
西倉 生まれ育ったのは千葉県柏市で、中学校以降からは横浜、という具合ですね。
崎谷 じゃあ、千葉から横浜に移り住んで、大学は東京で、と。いろんな仕事も、最初は関東でやって、それで今は京都にいるわけですよね?
西倉 そうですね。
崎谷 この先、どこかの土地でやっていきたいというような、つまり、土地に対する興味はありますか。
西倉 それが、めっちゃあって(笑)。今、京都でそのままやっていきたいんですよね。
崎谷 そうなの?
西倉 京都に移り住んだ理由は、妻の実家が京都にあって、子育てをするためというきっかけがあったんです。けど、京都は1000年以上の歴史がある都市なんで、いろんな歴史の文脈が街中に転がってるのが面白いなと感じています。一つの京都という都市の中に、平安時代から続いて今に至る空間もあるし、室町時代からというのもあるし、それが公家なのか武士なのかというのも違いますし、あるいは近代のものもあるし。あとは、そういうこととは別に、『ブラタモリ』で出てくるような地形の話とか河川の話とか、そういうのもあったりします。一つの空間、一つの都市の中にいろんな文脈や世界観が重複してるという意味では、自分が想像してる”オルタナティブ・パブリックネス”のモデルとして、とても良いというか、むしろ京都というものをどうやって建築化できるかという視点で街中を歩くだけでもすごい楽しいというのがあって。よくお寺とかお庭にも行くんですけど、その中でいろいろと想像しながら行くのがもはや趣味になっているという点も大きいですね。
崎谷 そうだよね。お寺とか庭とかは、そもそもそういう側面を持ってる。”オルタナティブ・パブリックネス”と…
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