NO.30
伊藤遼太 vol.2 『杜甫と芭蕉とアルプスの山』
REVIEW
2022/04/02 00:06
伊藤遼太さん(Ito Architecutre Associates)は、本メディア『土景』のディレクターも務める若手建築家である。その活動は、建築設計やwebディレクションの他にも教育研究活動、写真・動画の撮影編集、仮想現実空間の制作など多岐に渡って展開している。
今回のレビューでは、彼がずっと魅了され、考え続けてきたという”空間と時間の関係”について、その思考と実践を通じて語ってもらった。
「建築じゃないかもしれない。今っぽくもないし、主流でもない。未だ答えのないことを、こうして話して良いものか不安もある。」
そう前置きをしてから始まった講演録。
――空間の背後に潜む、時間という哲学的領域へ口火を切る。
僕が25歳ぐらいのときのスケッチを写真に撮ったんですけど、空間というのは、人間に働き掛けてくるけど、時間というのは人間が働き掛けないといけない。でも、こっちの議論もしなきゃいけないよな、みたいなことが漠然と僕の意識としてはあったわけです。
当時のメモ帳に残されたスケッチ
真木悠介(見田宗介)、山口昌男、木村敏、R・ベンチューリなどから。
でも、先ほど言ったように、現在から演繹することでしか過去と未来を想像することはできない。じゃあ、僕達がどういう風に空間の中に時間を見いだしているのか?ということについて、そのパターンを、いくつか抽出して考えてみたいと思います。それを創作にも繋げてるよという話は、その後でします。
"空間に宿された時間"ということで、ここからは僕の空間の見方の話です。
まず、時間って3種類あると考えています。
どれから説明するか迷うんですけど、まず分かりやすく想像できる時間についていうと――たとえば50年前にこれができました、100年前にこれができました、1000年前にこれができましたっていう――過去と現在と未来を単線で結んだ時間があります。人類史的にいえば築き上げてきた時間と言えますので、それを“歴史的時間”というように呼んでみます。
ですが、時間の感覚としては、その1つ前の段階があったと思っています。たとえば、毎朝の鳥の鳴き声で起きるとか、朝と夜が繰り返すとか、四季がぐるぐる巡るとか、人間とは別の――より大きな、神秘的な時間みたいなものがあったはずなんですよ。そこから農耕が生まれたり、いろんな生活様式が生まれて、文明ができて、歴史的時間に移行してきたのだと思います。そういう自然の繰り返される中から発見される時間があったと思うので、それを振動する時間として、“神話的時間”と呼んでみます。
さらに、そこにいく前に、また別の段階があったはずで、葉っぱが枯れ…
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